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2026年4月12日礼拝説教要旨

       み言葉を宿らせなさい


「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい」
(コロサイ書3章16節)

 

わたしたちが恵まれた信仰生活を送るときに大切なことは、神様を礼拝すること、常に祈って神と交わること、そしてみ言葉によって霊的魂が豊かに養われることです。礼拝を守る者を神は祝福されます。また、祈る者には聖霊の力が注がれ力強い日々を送ることができるのです。

そして、み言葉はわれわれの霊的糧です。肉体を健康に保つためには一日三度(人によっては二度)食事をとることが大切ですが、それと同様に、霊的魂が養われるためには、み言葉によって養われることが大切です。

柘植不知人先生は、「百のみ言葉は百人力。千のみ言葉は千人力」と言われました。つまりみ言葉をたくさん信じて自分のものにした人は、それだけ力強い人生を送ることが出来るという意味です。またアメリカの大衆伝道者ムーデは「み言葉に満たされることは、御霊に満たされることと同じである」と言われました。ですから、日々み言葉に満たされて力強い人生を送ってほしいものです。

詩篇119篇9節には「若い人はどうしておのが道を清く保つことが出来るでしょうか。み言葉に従って、それを守るほかありません」とあります。若いときは迷いも多く、誘惑も多いものです。しかし、クリスチャンとして潔い生活を送るためには、いつもみ言葉で心が潔められていることが大切です。

次に、11節には「わたしはあなたに向かって罪を犯すことのないように、心の内にみ言葉をたくわえました」とあります。マタイ福音書4章にイエスが荒野でサタンの誘惑を受けられたときのことが書いてあります。イエスが30歳のときに神の導きにより公生涯(伝道生涯)に入られるまえに、荒野で40日断食をして備えられました。

そして断食が終わり空腹になられたとき、サタンがきて誘惑されたのです。「そんなに空腹なら、この石をパンにして食べたらいい」と誘惑をしてきたのです。その時イエスは「人はパンだけで生きる者ではない。神の口よりでる一つ一つの言でいきるものである」と答えてサタンの誘惑を退けられました。

次に悪魔はイエスを聖なる都に連れていき、宮の頂上に立たせて言った「もしあなたが神の子であるならば下へ飛び下りてごらんなさい」と言われたとき、イエスは彼に言われた。「主なるあなたの神を試みてはならない」と言って、サタンの誘惑にお勝ちになりました。

次に悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、「わたしにひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものをみなあなたにあげます」と誘惑してきました。このときイエスは「主なるあなたの神のみを拝し、ただ神のみに仕えよと書いてある」と言ってサタンの誘惑を退けました。

ここでイエスは「…と書いてある」と言っておられますが、これは旧約聖書の申命記にあるみ言葉です。イエスだけでなくユダヤ人はことのほか申命記を暗記するほどよく読んでおりましたので、すぐにみ言葉が出てきたのです。わたしたちも日頃からみ言葉を読んでいると、そのみ言葉が助けてくれます。「わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、こころのうちにみ言葉をたくわえました」。

次に、119篇130節に「み言葉が開かれると、無学な者に知恵をあたえます」。柘植先生は小学校も出ていない学歴のない無学の人でした。その先生があのような大きな働きをされたのは、先生が聖霊に満たされ、み言葉に満たされたからです。

詩篇119篇81節「わが魂はあなたの救いをしたって絶えるばかりです。私はみ言葉によって望みをいだきます」。なにか事がある時は、み言葉が大きな力となるからです。阪神大震災のときに、一人の青年が「み言葉をください。み言葉で励ましてください」と言って来ました。彼らが求めたのは慰めの言葉でも励ましの言葉でもなく、み言葉による励ましでした。

2010年8月5日に、南米のチリのサンホセ炭鉱で落盤事故が起こりました。そして33名の炭鉱夫が地下700メートルの地底に閉じ込められました。一時は絶望視されましたが、地底に送る空気穴から生存が確認されました。そしてそこから水や食料を下ろして救援しましたが、全員を救出するのには数カ月はかかるだろうと言われていました。

ところが3カ月ほどで全員を特殊カプセルで、一人ずつ吊り上げて救出することが出来ました。この救出劇は世界中で放送されましたが、救出された人たちは、家族の人たちと抱き合って喜んでいました。

わたしは700メートルの地底で、しかも高温多湿の狭い空間でよく耐えることが出来たと思いました。それはオマールという高齢の炭鉱夫が小型の聖書を持っており、それを開いて皆を励ましたそうです。そしてみんなで祈り会を開いていたそうです。
                                                   坊向輝國