|
聖書箇所 ヨハネ福音書8章54節~59節
「天にあるふるさとを目指して」
「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。…彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。」
(ヘブル書11章8~10節)
「これらの人(アブラハムたち)はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。… 実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。… 事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。」
(ヘブル書11章13、16節)
「ヨハネ福音書8章後半」では、主イエス様が「御言葉にとどまる」ことによって「主の真の弟子とされる」そして「真理を知り、自由が得られ」、この世の悪しき者の子ではなく「神からの者、アブラハムの子とされ」、更に「永遠の命が与えられる」と約束されたことを学びました。
「御言葉にとどまる」のは、私達の信仰生涯の土台・基礎ですが、どの時代にも、御言葉を軽く扱う信仰者がいます。バックストン先生は「多くの信者は神様の御言葉を失っています。手から聖書を離しているのではありませんが、聖書を通して神様との交わり、神様と語ることを失って、御言葉が無味乾燥なものとなっているのです」と語られました。私達は「御言葉の民」として、日々「御言葉にとどまる」歩みをしましょう。
主イエス様の「御言葉にとどまる」ようにとのメッセージを聞いたユダヤ人は「あなたは、わたしたちの父アブラハムより偉いのだろうか。彼も死に、預言者たちも死んだではないか。あなたは、いったい、自分をだれと思っているのか」(ヨハネ福音書8章53節)と迫りました。主は「わたしがもし自分に栄光を帰するなら、わたしの栄光は、むなしいものである。わたしに栄光を与えるかたは、わたしの父であって、あなたがたが自分の神だと言っているのは、そのかたのことである。あなたがたはその神を知っていないが、わたしは知っている。」(ヨハネ福音書8章54、55節)と言われました。
この時、ユダヤ人が主イエス様のメッセージを聞いていると、それは自分たちにない「力強く、権威に満ちたもの」でもあったのでしょう。そのことは公の伝道生涯(公生涯)の初めからでした(マタイ福音書7章28,29節参照)。エルサレム神殿の境内での「仮庵の祭」を祝うこの時も、主イエス様は「主なる神様から与えられた権威」を帯びて父なる神様の栄光を垣間見る、栄光が現れるようなメッセ―ジをされていたのでしょう。
また、ユダヤ人が「自分の神だ」(ヨハネ福音書8章54節)という「その方(父なる神)」を、彼らは本当の意味で知りません(8章55節)が、主イエス様は「父なる神」を知っておられ、御自分は「神の独り子」であると意識されていました。その「自意識」は幼い頃からあり(ルカ福音書2章49節参照)、特に「ヨハネ福音書」を読む時は、「主イエス様が、神の独り子として語っておられる」と受け止めて読むと分かり易くなります。
ですから主イエス様は「わたしはそのかた(父なる神様)を知り、その御言を守っている」と言われました。それは、「御言葉を守り」(ヨハネ福音書8章51節、55節)「御言葉に聞き従い」(8章47節)「御言葉にとどまる」(8章31節)ことこそ、「神から来た者」(8章47節)だからです。
更に、主は「あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」(8章56節)と語られました。「(アブラハムが)見て喜んだ」という記事のある聖書箇所は、「へブル書11章」に「彼(アブラハム)は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都(天の都のエルサレム)を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。・・・これらの人(アブラハムたち)はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ 約束のものは受けていなかったが、はるかにそれ
(天の都エルサレム) を望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした」(同書11章10節、13節)とあります。
アブラハムは、「ゆるがぬ土台の上に建てられた都(天の都エルサレム)」を待ち望んで、「はるかにそれ
(天の都エルサレム) を望み見て喜」んだのでした。その「天の都エルサレム」に入れる様に、アブラハムを始め多くの人々のために、主イエス様が尊い血潮を流して「罪の赦し」と「永遠の命」を与えようと、半年後の「ゴルゴダの十字架の贖いの御業」を目指して一歩一歩進んでおられる御姿を、アブラハムが信仰の目で「見て喜んだ」(ヨハネ福音書8章58節)のでした。
私達も、アブラハムと同じく「ゆるがぬ土台の上に建てられた都(天の都のエルサレム)を、待ち望んで」「はるかにそれを望み見て喜」(ヘブル書11章10、13節)ぶ信仰を与えられています。最後に、その「ゆるがぬ土台の上に建てられた都(天の都エルサレム)を、望み見て喜」んだ一人の日本人の信仰者の姿をご紹介します。
1549年にザビエルが日本にキリスト教を伝えました。当時は戦争が続き暗く希望のない時代でしたので、キリスト教は急速に広まりました。時の権力者である豊臣秀吉は、最初キリスト教を擁護したのですが、その勢力が増すことを恐れてキリスト教を弾圧しました。その弾圧で殉教した26聖人の一人が12歳のルドビコ茨木でした。彼は捕まった時、京都で左の耳たぶを切られ、京都と大阪と堺の町で引きまわされ、雪や霜の降る真冬に堺から長崎に向けて1千キロ近くを徒歩で連行される苦難に遭いました。
長崎では奉行代理がルドビコに「今からでもおそくない。考え直してキリシタンを捨てなさい。そうすれば、大事な生命が助かる」「お前の生命は、私の考え一つで何とでもなるのだ、よく私のいうことを聴きなさい」と迫りました。パードレ(神父)も「ルドビコよ、信仰に背かないことであれば、お役人さんのおっしゃることを聴いて、その通りにするのです」と言ったのですが、奉行代理は「その信仰がいけない。キリシタンの教えを変えるのだ。キリシタンを捨てれば、生命が助かるばかりでなく、武士に取り立て幸福にしてあげるのだが」と言いました。するとルドビコは「お役人さまこそ、キリシタンにお成りなさっては。そして一緒にパライソ(天国)に参りましょう。それが一番の幸福でございます」と言いました。
ルドビコは別の時にも「つかの間の命と永遠の命を交換するのは意味のないことです」と言い、「パライソ(天国)に行く」ことを何より喜びました。そのルドビコ茨木は、1597年2月5日、長崎の西坂の丘で十字架につけられて亡くなり、パライソに挙げられました。
現代は命を失う迫害はありませんが、私達も「つかの間の命と永遠の命を交換するのは意味のないこと」とはっきり告白しましょう。そして「まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれ
(天の都のエルサレム) を望み見て喜」んだアブラハムの信仰に倣い、主イエス様の「贖いの御業」を信仰の目で「見て喜ぶ」ものとさせていただきましょう。
2026年8月23日(日)聖日礼拝説教要旨 竹内紹一郎
|