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2011.1.9
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      最初の殺人事件の原因は

 

『カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが
野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。

                    (創世記4章8節)

 

エデンの園を追放されたアダムとエバはカインとアベルという
ふたりの子供を産みました。兄はカインといい土地を耕す人とな
りました。また弟はアベルといい羊を飼う人となりました。とこ
ろがこのふたりの間に事件が起こったのです。ある日、彼らは神
に捧げ物をもってきて礼拝をしましたが、神はアベルの捧げ者を
顧み、カインの捧げものを顧みられませんでした。その理由はよ
くわかりませんが、何か神の意にそぐわないものがあったのでしょ
う。そこでカインは憤って神に顔を伏せて合わせようともしません
でした。

 

ある日、カインはアベルを野に誘い、誰も見ていないのを確認し
アベルを殺したのですが、これが聖書に書かれている人類最初の殺
人事件となりました。そして、この殺人事件の原因はカインの妬み
だったのです。箴言14章30節には『妬みは骨の腐りなり』(文
語訳)とありますが、これは「妬み心がその人を滅ぼしてしまう」
という意味なのです。そして犯罪の多くはこの妬みが原因となって
いると言われています。ですから、もしわたしたちの中に妬み心が
あるならば、決してしあわせになりませんので、それは聖霊によっ
て聖別されなければなりません。

 

創世記の最後のほうにヨセフ物語があります。父の膝元でしあわ
せに過ごしていたヨセフが、兄たちに売られてエジプトで奴隷にな
るという書き出しです。しかし、神はそのヨセフを愛してエジプト
でも見守り、最後にはエジプトで出世して、父や自分を奴隷に売っ
た兄たちを救うという物語です。

 

なぜヨセフは兄たちに売られたのでしょうか。それは兄たちの妬
みが原因です。ヨセフという少年はヤコブの12人兄弟の11番目
の子供です。そしてお母さんは12番目のベニヤミンを産んでまも
なく死んでしまいました。そこで不憫におもった父はヨセフをいつ
も自分の膝元に置いて可愛がったのです。聖書には『ヨセフには長
袖の着物を着せたとあります。長袖は元来、労働と関係のないお姫
様が着るもので、聖書にも王女が着たとあります。それほど父ヤコ
ブはヨセフを溺愛したのです。

 

父の愛を一身に受けたヨセフは増長して、より父の愛を受けたい
と、兄たちが陰でしている悪いことを告げ口したのです。
それが兄
たちの憎しみと怒りとなり、ある日、ヨセフが父の使いで野に出向
いたときに捕えられて、一度は井戸の中に放り込まれて殺されそう
になりましたが、ひとりの兄のとりなしで、一命だけは助かりまし
たが、エジプトの隊商に売られて奴隷となりました。この後の話は
また後刻に話をいたしますが、とにかくヨセフが不幸になったのは、
父がヨセフだけを偏愛することへの妬みだったのです。

 

 イエスを十字架にかけて殺したのも、ユダヤ教の指導者たちの妬
みでした。マタイ福音書27章18節に『彼らがイエスを引きわた
したのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかってい
たからである』とあります。ですから、わたしたちも妬み心を御霊
で聖別されなければなりません。

 

 詩編49篇16節には『人が富を得るときも、その家の栄えが増
し加わるときも、恐れては(羨んでは、妬んでは)ならない。彼が
死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず、その栄えも彼に従
って下って行くことはないからである』とあります。他人が成功し
たり、出世したりすると、みな口では「おめでとう」「よかったね」
と祝福の言葉を述べますが、心のなかでは複雑な思いがあるときが
あります。それが妬みです。御霊に満たされている人は心が潔めら
れていますから、心から祝福をすることができますが、そうでない
人はなかなか複雑です。

 

 しかし、このみ言葉のように、人がどんなに事業に成功して財を
成していても、また社会的地位が向上しても、その栄えも地上限り
です。名誉も地位も財産も何一つ持って行くことができないのです。
だから、「他人の幸せを妬まないように」と言って警告をしている
のです。

 

 昔、ローマ皇帝に仕える侍従ダモクレスという人がいました。彼
は日頃から王の地位が羨ましくてなりませんでした。それを悟った
王は、ある日ダモクレスを王宮に招いたのです。テーブルの上にい
つも王の食べる贅沢な食事が盛られていました。そしてダモクレス
はいつも王の座っている椅子に座らせたのです。するとその頭上に
は一本の馬の尻尾で吊るされた抜き身の剣がぶらさがっているのが
目にはいり、彼はどんなに王から勧められても食事が喉を通りませ
んでした。後で王から「王座に座った気分はどうだったか」と問わ
れたとき、彼は「もう王座になどすわりたくありません」と答えた
といいます。そこで王は「王位というものは、はたから見るほど楽
しいものではなく、いつ部下に裏切られて命を狙われるか、食事に
毒をもられるか、戦々恐々の日々である」と語ったというのです。
                      (Jan,09,2011)