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2011.1.23
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   戸が開かれている間に

 

『神が彼に命じられたように(箱舟に)はいった。そこで主は
彼のうしろの戸を閉ざされた。…地のおもてにいたすべての生
き物は、人も家畜も這うものも、空の鳥もみな地からぬぐい去
られて、ただノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った』。           
              (創世記7章16節)

 

 『ノアの洪水』は神話でも物語でもありません。この出来事
の舞台はアブラハムのご先祖が住んでいた地、つまり今日のイ
ラクで、チグリス、ユーフラテスという大きな川の周囲で起こ
った大洪水だったのです。そして考古学の発掘調査で、地底に
は大洪水のために出来たと見られる厚い粘土層が堆積している
という報告がされています。

 

 また、第二次世界大戦のときにイギリス空軍のパイロットが、
箱舟が洪水後に漂着したといわれるアララテ山上にその残骸と
おぼしき物を見たと報告しました。また、ソ連軍のパイロット
も同じような報告を上司にしたという記録があります。

 

 では、なぜ『大洪水』が起こったのでしょうか。これは人類
に対する神の審判だったのです。65節に『主は人の悪が地に
はびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ば
かりであるのを見られた。主は地の上に人を造ったのを悔いて
心を痛め、「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろ
う。…わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた』
とあります。

 

 また、11節には『時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ち
た。神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地
の上でその道を乱したからである。そこで神はノアに言われた、
「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴
虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう」』と
あります。

 

 しかし、この大洪水のときにノアは箱舟に入って救われたの
です。なぜノアだけが救われたのでしょうか。6章9節に『そ
の時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神と
ともに歩んだとあります。また71節には『主はノアに言わ
れた、「あなたと家族とはみな箱舟に入りなさい。あなたがこ
の時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは
認めたからである」』とあります。つまり全人類を地上から滅
ぼされるときにノアの全き生きざま、また神を畏れる正しい生
き方のゆえに滅びから除外されたのです。

 

 そこで神はノアに対して『わたしはすべての人を絶やそうと
決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから。わたしは彼らを地
とともに滅ぼそう』と決心し、ノアに対して箱舟を造って難を
逃れるように啓示されたのです。そのとき『ノアはすべて神の
命じられるようにした』とあります。つまり神の示しに従った
のです。これがノアの信仰です。

 

 へブル書117節に『ノアは、まだ見ていない事がらについて
御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を
造り』と、ノアの行動を称賛しています。洪水が起こるような様
相でもあればともかく、全く平和なときに、終末のために箱舟を
用意するということは、しかも海岸近くならいざしらず、山頂に
舟を造るなんて尋常では考えられないことです。こんなことをす
れば、いったいどうして水の中に進水するのでしょう。

 

 しかし、ノアは神を畏れる敬虔な人でしたから、神の命じられ
るままに従ったのです。これは終末に対する教訓です。終末の日
は誰も知りません。テサロニケ前書52節に『主の日は盗人が
夜くるように来る。人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、
…突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのが
れることは決してできない』とあります。

 

 ノアの洪水もそうでしたが、わたしたちの終末もだれも予想し
ていないときに、突然襲って来るのです。ですから、わたしたち
も、いつ終末が来ても、キリストのご再臨があっても、主の前に
潔く立つことができるように、平和なときから自分と自分の家族
のために箱舟の用意をしていることが大切です。

 

 次に、『雨は四十日四十夜、地に降り注ぎ』ました。そして
ノアは神の命じられるままに、自分の家族と、生き物を一つがい
ずつ箱舟にいれました。その後で『そこで主は彼のうしろの戸を
閉ざされた』とあります。そしてこの戸は洪水の終わるまで二度
と開かれることはありませんでした。そして723節に『ノアと、
彼と共に箱舟にいたものだけが残った』とあります。ですからわ
たしたちも戸が開かれている間にイエスを信じて箱舟(救い)に
入ることが大切です。コリント後書6章2節に『見よ、今は恵み
の時、見よ、今は救の日である』とあります。

 

 マタイ福音書25章に『花婿を待つ十人のおとめ』の話があり
ます。何かの事情で花婿の到着が遅くなったので、彼女たちが
手にしていた燭台の火がとぼしくなりました。そこで用意のい
5人の乙女は持っていたスペアの油を注ぎましたが、5人の乙
女はスペアの用意がありませんでしたので、町に買いに行って
いる間に花婿が到着し婚礼がはじまったのです。ところが、町
に油を買いに行っていた5人の乙女たちが帰ってきたときは宴
会場の戸が閉じられて開けられることがありませんでした。こ
の譬えは、キリストの再臨の日を迎えるために油断をしないよ
うに、という警告であったのです。     
     (Jan,23,2011)