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2011.2.6
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  祭壇を築いて礼拝をした

 
『彼はそこからベテルの東の山に移って天幕を張った。西には
ベテル、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築
いて、主の名を呼んだ』。           (創世記128節)

 

神の啓示をうけたアブラハムが導かれたところはカナンの地で
した。そして彼は天幕を張ったところに石で祭壇を築いて燔祭を
捧げて「主の名を呼んだ」、つまり神を礼拝したのです。これが
この後も神からの祝福を受ける原因となりました。また彼らは遊
牧民ですから羊を連れてよい草のあるところに、また水のあると
ころを求めて移動をします。そして天幕を張って定住するところ
に祭壇を築いて神を礼拝したのです。これはアブラハムの『神第
一』の姿勢だったのです。

 

マタイ福音書633節に『まず神の国と神の義とを求めなさい』
とありますが、神を第一とすることは、敬虔なクリスチャンの姿勢
なのです。ですから、皆様も日曜日毎の礼拝生活を第一に、そして
大切に守ってください。クリスチャンの祝福はここにあるのです。

 

今から四百年ほど前にアメリカ新大陸が発見され、ヨーロッパの
人々が移住をして新大陸の開拓が始まりました。その中でも、1620
に信仰の自由を求めてやってきたピューリタン(聖教徒)の人たち
が、長い航海を終えて新大陸に上陸しました。そして彼らが上陸を
して先ず最初にしたことは、みんなで教会を建てて、そこで礼拝を
したことです。勿論、上陸早々ですから立派な建物ではなかったと
想像しますが、とにかく最初にみんなで礼拝をし航海の安全を感謝
し、これからの開拓事業の祝福を祈ったのです。これがアメリカの
発展の基礎となりました。わたしたちもこの順序を大切にしたいも
のです。一週間の最初の日曜日に礼拝を捧げるとはそういう意味が
あるのです。

 

アメリカ新大陸のお話をしましたので、これに関連するもう一つ
のお話をします。ヨーロッパから新大陸を目指してやって来た人た
ちは、はじめはアメリカの東海岸で開拓をはじめました。今日のワ
シントン、ニューヨークのある大西洋側です。ところがアメリカ大
陸の西部側はまだ未開のままですから、政府は西海岸側(太平洋の
あるロサンゼルス側)の開拓を計画し、新しく入国した開拓者たち
の西部の開拓を奨励したのです。そこで開拓者たちは幌馬車隊を組
んで西部へ、西部へと移動をして行ったのです。その間、途中でイ
ンデアンに襲われて戦いながら西部を目指したのです。これが西部
劇です。

 

ところが、クリスチャンばかりで組織する幌馬車隊の一行があり
ました。彼らは土曜日にキャンプを張ったところで翌日の日曜日に
は礼拝を捧げて一日安息をしたのです。その横を後から来た幌馬車
隊が追い越していきますが、彼ら一行は少しも慌てませんでした。
なかには「お前たちは何故そんなところでノンビリしているのだ、
早く行かないとよい土地がなくなるぞ」と言われても「今日は日曜
日だから…」と言って礼拝を守ったのです。

 

ところが何ヶ月も経ってようやく西部に到着して知ったことは、
自分たちを追い越して行った幌馬車隊で無事に到着したのは少なく、
途中でインデアンに襲われて全滅をした幌馬車隊があったり、病人
が出て旅行が続けられなくなったり、なんとか着いてまともに開拓
をすることができなかったり散々な状態だったのです。ところが、
クリスチャンの幌馬車隊はみんな元気に到着することができたとい
うのです。これは彼らが日曜日の礼拝をしっかりと守った祝福だっ
たのです。

 

昔、わたしが若い頃に奉仕をしていた教会に農家のご主人がおり
ました。彼は戦後に外地から引きあげてきた人で、山地を開拓して
リンゴをつくりました。しかし苗木を受けても実の成るまではまっ
たく収入はありませんので、苗木の間、野菜を作り、それを売って
生活をしていました。ところがある日、町を行商していると、どこ
からとなく讃美歌が聞こえてきたのです。しかも大勢の人たちが歌
っている声でした。そこで声のする方を探すと、いつも通っている
道端に教会があったのです。いつも通っている道でしたが、普通の
民家に十字架と看板を上げただけの建物でしたから見過ごしていた
のです。

 

そのとき、その方は思ったそうです。わたしも同じクリスチャン
なのに、彼らは楽しそうに讃美歌を歌っている、それに対して自分
は日々の糧のために、僅かばかりの野菜を売っていなければならな
い、この矛盾を感じて決心したそうです。「もう日曜日には行商を
やめて教会に行こう、それで食べられなかったら信仰をやめよう」
と。そして年末に一年間の収入の合計を計算したところが驚くべき
ことがわかったのです。それは日曜日に行商をしていた時の収入と、
日曜日に行商を止めて礼拝を守った年の収入が一緒だったのです。
つまり神第一の礼拝生活をするその人を恵まれたからです。

 

『まず、神の国と神の義とを求めなさい』とありますが、この
『神の義』とは、前にも言ったことですが、神との正しい関係を保つ
ということなのです。どうぞ礼拝生活を大切にして、いつも神と正し
い関係を保ってください。アブラハムのように一週間毎に祭壇を築い
て礼拝を守ろうではありませんか。       

  (Feb,06,2011