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2011.2.13
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  悔い改めの祭壇を築いた

 

『彼はネゲブから旅路を進めてベテルに向かい、ベテルとアイの間
の、さきに天幕を張った所に行った。すなわち彼が初めに築いた祭
壇の所に行き、その所でアブラムは主の名を呼んだ』。

(創世記13章4節)

 

 神の啓示に従いアブラハムはカナンの地に来ましたが、しばらく
して、その地が飢饉になりましたので、一族は食糧を求めてエジプ
トに寄留をしました。そこで彼は取り返しもつかない失敗をしたの
です。それは自分の妻サラが美しい女性だったので、それを奪うた
めに自分が殺されるのではないかと心配したのです。そこでアブラ
ハムはサラを妹だとしたのです。これはアブラハムにとっては取り
返しのつかない不信仰の失敗でした。

 

 確かに、アブラハムとサラとは異母兄弟ですから妹と言っても決
して嘘ではありません。しかし、そのように自分の身の安全のため
に嘘をつかなければならないとは、実に情けないアブラハムではあ
りませんか。

 

 サラの評判がエジプトの王宮にも伝わり、パロ王はサラを迎えて
自分の側女としようとしました。そしてその代償にたくさんの家畜
がアブラハムに与えられました。でも神は義の神ですからそのよう
な偽りを許しなさいません。神は激しい疫病をパロの家にくだされ
ました。そこで王は「なぜ、このような災いが降りかかったのか」、
その原因を調べたところが、こんど王宮に入ったサラはアブラハム
の妹ではなく、彼の妻であることが露顕したのです。そして王から
「あなたはわたしになんということをしたのですか」と叱責され、
エジプトの地から追い出されたのです。

 

 なぜ、アブラハムはこのような嘘をついたのでしょうか。その一
つは、彼の不信仰が原因でした。もしカナンの地が飢饉のときにア
ブラハムの一族が滅ぼされるようなことになれば、神は彼の一族を
カナンの地に導かれなかったでしょう。もう一つの原因と推察され
ることは、創世記12章9節にあります。ここには『アブラムはな
お進んでネゲブに移った』とあります。ところがこの前の文章から
みると、この文脈に何か足らないのです。なぜなら、この前の節に
は『彼はそこからベテルの東の山に移って天幕を張った。西にはベ
テル、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築いて、
主の名を呼んだ』とあります。ところが、この後のネゲブでは、当
然あるべき文章、つまり『そこに祭壇を築いて、主の名を呼んだ』
という言葉がないのです。おそらく何らかの事情でネゲブでは神を
礼拝していないのです。これが飢饉のときにエジプトに逃れるとい
う不信仰を起こした原因だった
のです。

 

 マタイ福音書633節に『まず神の国と神の義とを求めなさい』
とありますが、神を第一とすることはわたしたち敬虔なクリスチャ
ンにとっては大切なことです。「まず」とありますが、これは「ま
ず第一に」という意味です。つまりクリスチャンとしていちばん大
切にしなければならないことは「礼拝を第一に守る」ということで
す。そして、わたしたちは日曜日に礼拝を守りますが、日曜日は一
週間の最初の日です。その一週間の最初の新鮮なときに神を礼拝す
るということは、わたしたちが神から祝福をいただく基なのです。
ですから皆さんも、どんなに忙しくても最初に礼拝だけは守ってく
ださい。

 

 さて、話を先に進めますが、エジプトを追放されたアブラハムが
向かったところは133節です。『彼はネゲブから旅路を進めて
ベテルに向かい、ベテルとアイの間の、さきに天幕を張ったところ
に行った。すなわち彼が初めに築いた祭壇の所に行き、その所でア
ブラムは主の名を呼んだ(神を礼拝した)』。この礼拝はアブラハ
ムの悔い改めの礼拝だったのです。そして、ここで再び神の赦しを
得て、新しく出発をしたのです。

  

 エジプトで失敗をして追い出されたとき、彼は他の方に行かない
で、『初めに築いた祭壇のところ』、つまりカナンの地で最後に礼
拝をしたところに帰り、崩れた祭壇を築き直して礼拝をしたのは、
彼の悔い改めの礼拝でした。そして赦されて新しい出発をしたので
す。

 

 わたしたちもときには不信仰の失敗をすることがあります。その
ときに、「あんなことをしなければよかったのに」と悔いてばかり
いても何の進歩もありません。悔いるだけなら、また同じような間
違いを犯します。『悔い改める』とは、ただ反省するだけではなく、
神のところに立ち返ることです。

 

 『罪』という言葉はギリシャ語で「ハマルティア」と言いますが、
これは「的外れ」という意味だそうです。つまり神の的からはずれ
るのが罪です。わたしたちもときには神から的を外してとんでもな
い方向に飛んでいってしまうことがあります。しっかりと神という
的に信仰の矢を射ようではありませんか。

 

 神は愛の方であると同時に赦しの方です。そして悔い改めに立ち
返る者を赦して迎え入れてくださるのです。ですから神を恐れない
で、神の赦しの愛を信じて神のもとに立ち返りたいものです。

 

 歴代志下33章にマナセという王が登場します。彼も神に赦され
て立ち直った人です。彼は南ユダ王国の13代目の王で、ヒゼキヤ
王の息子でした。父が死んだので12歳で王位に就きましたが、南
王国では最悪の王でした。彼は父ヒゼキヤが宗教改革をして国内か
ら粛清をした偶像礼拝を復活させたのです。また預言者イザヤを鋸
でひき殺したとも言われています。こんな王に55年間も支配され
たのでは民もたまったものではありませんでした。

 

 そして神から警告を受けましたが、彼は悔い改めませんでしたの
で、神はアッスリヤ帝国を動かして制裁を加えられたのです。そし
てマナセは捕えられ、『青銅のかせにつないで、バビロンに引いて
行った』のです。ところがマナセは『彼は悩みにあうに及んで、そ
の神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低くして神に
祈ったので、神はその祈りを受けいれ、その願いを聞き、彼をエル
サレムに連れ帰って、再び国に臨ませられた。これによってマナセ
は主こそ、まことに神にいますことを知った』とあります。

 

 マナセ王のような悪辣非道な王であっても、神の前に悔い改め
たときに、神は赦して再び王としてその生涯を全うさせたのです。
その後にこんな記事が続きます。『この後…主の宮から、異邦の
神々および偶像を取り除き、主の宮の山とエルサレムに自分で築
いたすべての祭壇を取り除いて、町の外に投げ捨て、主の祭壇を
築き直した』とあります。これはマナセ王の宗教改革、悔い改め
の実だったのです。

 

 マナセのように悪辣非道な人でも悔い改めるならば、神はすべ
てを赦してくださるのです。ですから、わたしたちも神に背いた
とき、また罪を犯したとき、その結果の神の裁きを恐れないで、
神のもとに立ち返ることです。アブラハムのように悔い改めの祭
壇を築き直して礼拝をすることです。

                       (Feb,13,2011