本文へスキップ
2010.2.21
                                                     戻る

放蕩息子のたとえばなし

『しかし父は僕たちに言いつけた、「さあ、早く最上の着物を出してきて、この子に
着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。また、肥えた子牛を引いてきて
ほふりなさい。この息子が死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった
のだから」。それから祝宴がはじまった』

                         (ルカ福音書15章24節)

 

 放蕩息子の譬え話をとおして『神の愛』について話します。
その前に、ルカ福音書15章には三つの譬え話がまとめられてあり、いずれも『神の愛』
について語っているのです。

 その一つは失われた一匹の羊の話で、羊飼いはいなくなった一匹のために九十九匹を
野においてでも探すという話です。
羊飼いは九十九匹が無事だから一匹ぐらいいなくなってもいい、とは言いませんでした。
彼はいなくなった一匹を大切にして、そのために九十九匹を野においてでも必死になって
探したのです。このように神の愛はひとりの魂を大切になさっておられるのです。
そして最後に『それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔い改めを
必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きな喜びが天にあるであろう』
と話を結んでいます。

 次に、十枚の銀貨の譬え話です。この女性は失った一枚の銀貨を必死に捜しました。
そしてそれを見つけたとき、近所の人たちを呼んで喜んだというのです。そしてまた
『それと同じように罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびが
あるであろう』と話をとじています。

 最後に『放蕩息子』の譬え話です。これは、ある家の弟が自分の相続する分の財産を
貰って、他国に行って一旗挙げようとしましたが、一旗挙げる前にその財産を放蕩して
使い果たしてしまったのです。そして貧乏のどん底に落ちたこの男は、豚の餌を食べる
ところまで落ち込んでしまいました。
 このどん底に落ち込んではじめて『本心に立ち返って』、父のもとに立ち帰って行き
ました。彼の心は、自分はもう父から息子として貰う分はもらったから、息子と呼ばれる
資格はない、でもこんな身も知らぬところでのたれ死にするよりは、父のもとで雇い人の
一人でも雇って貰ったら、と考えたからです。

 ところが父は息子の姿を見つけるや走り寄り、その子を抱きかかえたのです。息子は
『父よ、私は天に対しても、あなたにむかっても罪を犯しました。もうあなたの息子と
呼ばれる資格はありません』とまで話したら、父はそれを遮ってそれ以上言わせず、
僕たちに言いつけました。『さあ、早く最上の着物を出してこの子に着せなさい。
指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい』。これは父親の愛です。息子は放蕩の
結果どん底に落ちぶれ、ホームレスのようなみじめな姿で帰ってきましたので、使用人
の前で恥ずかしくないようにと、上等の着物を着せて大切に迎えたのです。
 また指輪はこの家の息子の印です。また彼は裸足で帰ってきましたので、履物を
履かせました。裸足は奴隷の姿です。これらは父の息子に対する愛だったのです。
そして父は『この息子が死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった
のだから』と放蕩息子の生還を喜んだのです。

 この譬え話は『神の愛』が明確に示された有名な話です。放蕩息子とはわたしたち
のことです。人間は神のもとにいればなんの不安もなく幸せに暮らすことができたのに、
自分の自由を求めて神から離れ、自分勝手なことをするようになりました。

 ヨハネ福音書15章5節に『わたしから離れてはなにひとつできないからである』と
ありますが、わたしたちがしあわせだったのは神と共に、そして神の愛の庇護のもとに
あったからです。ところが、それを忘れて自分勝手、自分の自由に生きようとしたとき
にしあわせを失ったのです。でも神は『愛の神』ですから悔い改めて立ち返る者を
放蕩息子の父親のように赦して、子として迎えてくださるのです。

 イザヤ書44章22節に『イスラエルよ、わたしはあなたを忘れない。わたしはあなたの
とがを雲のごとく吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、
わたしはあなたを贖ったから』とあります。神はわたしたちの罪をイエスの十字架の
犠牲により、尊い血を流して贖い、罪なきものとしてくださったのです。ですから、
このイエスの十字架の贖いを信じて神のもとに立ち返るなら、わたしたちの罪を赦して
『神の子』としてくださるのです。大切なのは神のもとに立ち返ることです。

 また、『わたしはあなたを忘れない』とありますが、神はいつもわたしたちを覚えて
いてくださるのです。これは神の愛のゆえです。イザヤ書49章15節に『たとい彼らが
忘れるようなことがあっても、わたしはあなたを忘れない。見よ、わたしはたなごころ
にあなたの名を彫り刻んだ』とあります。母親は自分のお腹の子のことを一時も忘れる
ことはありません。たとえそんなことがあっても、神はわたしたちを決して忘れるような
ことはありません。これが神の愛です。神の愛を信じて生きてください。

                                 (Feb.21.2010)