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2011.2.27
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   アブラハムの信仰

『アブラムは身内の者が捕虜になったのを聞き、訓練した家の子
三百十八人を引き連れてダンまで追って行き、そのしもべたちを
分けて、夜彼らを攻め、これを撃ってダマスコの北、ホバまで彼
らを追った。そして彼はすべての財産を取り返し、また身内の者
ロトとその財産および女たちと民とを取り返した』。

                  (創世記14章14〜16節)

 

 アブラハムと別れたロトはソドムの地にきましたが、そこは決し
てユートピア(理想郷)ではありませんでした。神を畏れない不敬
虔な民が住む地で、神が火と硫黄でもって滅ぼされる前でした。そ
してロトはその地で自分たちが持ち込んだ財産を全て失うはめにな
ったのです。
 

 この話は、ケダラオメルの連合軍がソドムの町を襲い、町の人た
ちを捕虜として連れ去り、また町の財産を奪ったため、その町に住
んでいたロトたち一家も巻き添えをくったのです。その知らせを聞
いたアブラハムはロトたちを救出するために一族の郎党、318名を
連れて連合軍を追撃しました。

  そして連合軍を破って捕虜を取り返し、奪われた財産を取り返
したのです。アブラハムの追撃隊は318名という少数でしたが、連
合軍には勝利の油断がありましたので、アブラハムの追撃の前に敗
北をしたのです。戦いの勝利は軍勢の多さだけではありません。ど
うしてアブラハムはこのような追撃をする事ができたのでしょうか。
それはアブラハムの甥ロトに対する愛だったのです。ヨハネ第一書
4章18節に『愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く』とあ
ります。甥のロトを救いたいと言う思いがこんな無謀とも思える行
動に走らせたのです。また、その後に『かつ恐れる者には愛が全う
されていないからである』とあります。

 次に、戦いは軍勢の多さにはよりません。たとえ少数でも信仰を
もって戦えば神は勝利を与えてくださいます。サムエル記上146
節に『多くの人をもって救うのも、少ない人をもって救うのも、主
にとっては、何の妨げもないからである』とあります。これはヨナ
タンがペリシテ軍と戦ったときのことです。
 

 ペリシテ軍の勢力は「戦車三千、騎兵六千、民(歩兵)は浜辺の
砂のように多かった」とあります。それに対してイスラエルはわず
か三千の兵力で、それもサウル王が率いるので二千、またヨナタン
が率いる兵力は1千でした。これでは「多勢に無勢」ではじめから
戦いになりません。それだけでなく劣勢をみて戦う気力を失った者
たちが次々と戦列を離れていき、気がついたときにはヨナタン軍は
六百しか残りませんでした。これでははじめから戦闘になりません。
しかしヨナタンは信仰の軍人でしたから、『多くの人をもって救う
のも、少ない人をもって救うのも、主にとっては、なんの妨げもな
いからである』と戦ったのです。

 

 このとき主がヨナタン軍の味方をしてペリシテ軍の大軍に勝利を
したのです。この勝利の秘訣はペリシテ側に侮りがあったからです。
侮る心には油断が生じます。そして油断が恐怖心となるのです。
15節に『そして陣営にいるもの、野にいるもの、およびすべての
民は恐怖に襲われ、先陣のもの、および略奪隊までも恐れおののい
た。また地は震え動き、非常に大きな恐怖となった』とあります。

 

 また、逆にイスラエル軍はヨナタンの果敢な戦いを見て勇気が
与えられ、戦列に復帰して共に戦ったのです。21節に『また先
にペリシテびとと共にいて、彼らと共に陣営にきていたヘブルび
とたちも、翻ってサウルおよびヨナタンと共にいるイスラエル人
につくようになった。またエフライムの山地に身を隠していたイ
スラエルびとたちも皆、ペリシテ人が逃げると聞いて、彼らもま
た戦いに出て、それを追撃した。こうして主はその日イスラエル
を救われた』のです。これはヨナタンの勇敢な戦いぶりが人々に
勇気を与えたのです。

 

 日本にもこれとよく似た歴史があります。今から450年ほど前
1560年に起きた『桶狭間の戦い』です。今川義元は京都に上
洛して天皇から将軍の宣下を受けて天下に号令をしようとして、
2万5千という(一説によると4万ともいわれている)軍勢を率
いて京都に向かって出発をしました。それを途中で阻止したのが
織田信長です。彼は自分の領内の桶狭間で、わずか2千の軍隊で
奇襲をして今川軍を打ち破り、義元の首をとり勝利をしたのです。
これは日本の歴史の一大転換と言われる出来事だったのです。で
は何故、今川軍の大軍が織田軍に破れたのでしょうか。それは今
川軍に連戦連勝という侮りと油断があったからです。

 

 さて最後に、アブラハムはケダラオメルの連合軍から奪い返した
ものをソドムの王に返しました。そのとき王は「わたしには人をく
ださい。財産はあなたが取りなさい」といわれたとき、彼は『わた
しは糸一本でも、くつひも一本でも、あなたのものはなにも受けま
せん。アブラムを富ませたのはわたしだと、あなたが言わないよう
に』と言って、代償を求めなかったのです。ここにアブラハムの潔
さ(いさぎよさ)があります。

 

 もしこのときに代償を受け取っていたら、後にアブラハムが富み
栄えたとき、「あれは俺たちが与えた財産が基になっているのだ」
と言われ、神の栄えにならないからです。ここにアブラハムの人と
なりが表れています。            
                     (Feb,27,2011