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2010.2.28
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いちばん大切なものは何か

 

『それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒
しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは持ち物にはよ
らないからである」。

・・・すると神が彼に言われた、「愚か者よ、あなたの魂は今夜のうちに取り
去られるであろう。そうしたら、あなたが用意をした物はだれのものになる
のか。自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」』

 

                        (ルカ福音書1215)

 

 このところで、イエスが語られた譬え話を通して『いちばん大切なものは何か』
ということについて話をします。そしてこ
の話の発端は、ある人が遺産相続に
ついて調停を願いでたことに
ありました。この世の多くの人々は『拝金主義』で
「金が第一」
「金さえあればしあわせが買える」と考えている人が多いのです。
それに対してイエスは「この地上の宝よりも、天に宝を積む
ことのほうが大切で
ある」と教えたのです。

 

 15節に『あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を
持っていても、人のいのちは、持ち物にはよ
らないのである』とあります。この
地上にどんなにたくさんの
財産を得ても、死んでしまってはなんにもなりません。
(この世
の人の言う)あの世にはびた一文も持っていけないのです。

 

 詩篇4917節に『彼が死ぬときは、何ひとつ携えゆくことはできず、その栄え
も彼に従ってゆくことはない』とあります。
ですから、わたしたちは地上に宝を
積むことよりも、天に宝を
積むことを考えなければなりません。
マタイ福音書620
には『天に宝を積みなさい』とあります。

 

 この譬え話の金持ちは、豊作でたくさんの穀物を蔵に蓄えてから『さあ、安心
せよ』と言っていますが、イエスは『愚か者
よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り
去られるであろう。そう
したらあなたの用意した物はだれのものになるのか』と
言われ
ました。それよりも、魂が天国の用意ができてはじめて『さあ、安心せよ』
と言うことができるのです。

 

 次に、この金持ちの間違いは、『わたしの作物を』と言っている点です。どんな
に丹精込め、苦労をして得た収穫物も、
決して自分のものではありません。なぜな
ら、つまり神の恵
(太陽の恵み、雨の恵み)がなければ、わたしたちがどんな
一所懸命に働いても充分な収穫を得ることができないから
です。これを知っている
者は神に対して感謝します。そして
またその人は神の恵みを受けるのです。

 

 詩篇5012節に『世界とその中に満ちているものとはわたしのものだからで
ある』とあります。ある家庭で教会
学校に行っている子供が食事のときに教えら
れたとおりに
お祈りをしました。

「神様、今日もこのご飯を与えてくださって感謝します・・・」、ところが、横で
それを聞いていた父親が、「感謝をするなら
おれにせよ。お前たちがご飯を食べ
られるのは、おれが一所
懸命に働いているのだから」と言いました。すると子供
はま
た、「お父さんが元気に働くことができるのを感謝します」と祈ったと言う
話を聞きました。

 

 徳川家康は『天下はみな天()からの預かりもの』と言ったそうです。そして
天下統一をしてからも「一汁一菜」の
質素な生活、倹約の生活を続けたと聞きま
す。ですから二百
数十年にわたって『徳川幕府』が栄えたのです。

 

 それに対して、豊臣秀吉は尾張の中村の百姓の出で、父親は足軽という貧しい
家に生まれ育ちました。そして彼が天下
統一をしたときは贅沢の限りをつくした
と言います。その一
つに黄金の茶室を作って大名たちを驚かせたのです。
彼は
成り上がり者だったからです。ですから豊臣家は一代にして滅んでしまった
のです。

 

 どんなに自分が一所懸命に努力をしても、みな神からの恵みであることを忘れ
てはなりません。かつてこの教会にも来
られた有名な伝道者ポール・リース師は、
『皆さんは、十分
の一献金をしたら、あとは自分のものだと思っている人があり
ますが、そうではありません。「十分の十」、つまり神の
ものです』、と語られ
たのを思い出します。

 

 『人のいのち(しあわせ)は、持ち物によらないのである』ですから物質的な
ものにしあわせを求めている人は失望し
ます。

 

 ある日から和服のよく似合う上品な中年の女性が教会に来られるようになりま
した。この方はかつて裕福な資産家
の奥様だった方でしたが、戦後の農地改革の
ときにたくさ
んの田畑を失い、その上、騙されて自分たちの屋敷から山林まで
売り飛ばされて貧乏のドン底に落とされ、貧しい
生活をしておられました。

 

 しかし、そのどん底に落とされてはじめてキリスト教に出会い救われたのです。
その女性が、「先生、いまわたし
の心境は、『常に喜べ、絶えず祈れ、すべての
こと感謝せ
よ』ですと言いました。彼女はイエス・キリストを信じて救われ、
はじめて資産家の奥様の贅沢な生活をしていたこ
ろには味わえないような、
平安な生活を経験をしたという
のです。つまり、しあわせは物質的なものではなく
精神的
なもの、心の平安だったのです。

                  
                             (Feb.28.2010)