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2011.3.6
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アブラハムの盾となった神




『これらの事の後、主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ、
「アブラムよ恐れてはならない、わたしはあなたの盾である」』。
                    (創世記15章1節)




 これはアブラハムに臨んだ神の言葉です。前回はアブラハムの
信仰による活躍について話しました。ソドムの町がケダラオメル
の連合軍に攻撃され、ソドムの町の人々と財産を奪われてしまい
ました。その知らせを聞いたアブラハムはその町に自分の甥ロト
が住んでいて一緒に捕虜になったことを聞き、急遽、家の郎党
三百十八人を連れて追撃し、連合軍の油断をついて打ち破り、捕
虜と奪われた財産を取り返したのです。この勝利は連合軍に勝利
の油断があったためで、尋常に戦ったのではとうてい勝ち目はあ
りませんでした。

 その後、アブラハムのところに噂がもたらされました。それは
ケダラオメルという王はたいへん自尊心の強い人で、アブラハム
の小族に敗れたことを恥じて復讐をしてくる、という噂でした。
あのときは敵に油断があったから勝つことができたが、もし連合
軍が本気に攻めてきたら勝ち目はありません。そこでアブラハム
は連合軍の復讐を恐れたのです。

 そんなときに、神から『アブラムよ、恐れてはならない。わたし
はあなたの盾である』、つまり盾になって守ってやると言葉があっ
たのです。そしてアブラハムはこの神の声で平安が与えられたのです。
その後、連合軍が攻めて来たという記事がありませんので、神が盾と
なって守られたに違いありません。
 

 詩篇1830節に『主はすべて寄り頼む者の盾です』とあります
が、勇士が戦うときに片手に剣を持ち、もう一方の手に盾を持って
戦いますが、盾は相手の攻撃を防ぐものです。また敵の剣が振り落
されたとき、その盾の陰に身を寄せて守るのです。神はわたしたち
に危険が及ぶとき、わたしたちの盾となって守ってくださいます。
ですから神を盾としている人は安全です。

 また詩篇347節に、『主の使は、主を恐れる者のまわりに陣を
しいて彼らを助けられる』とあります。列王記下6章にこんな話が
あります。「北イスラエル王国」の北隣りに「アッスリヤ」という
国があって、収穫期の終わったころに侵略をして来て、収穫物を奪
い去ってしまうのです。ですからイスラエルにとっては憎い敵でし
た。ところが、ある頃からスリヤの王の立てた作戦がみんな裏をか
かれて失敗をしてしまうのです。そこで王は自分たちの側近のなか
にイスラエルのスパイがいて作戦を内通しているに違いないと考え
て調べましたが、スパイの内通ではなく、イスラエルにエリシャと
いう預言者がいて王が寝室でたてた作戦をみんな見抜いてしまうと
いうことが分かりました。そこでスリヤの王はイスラエルの預言者
エリシャを捕えに兵隊を寄越しました。
 

 そして預言者のいるドタンの町を夜中に取り囲みました。早朝そ
れを見た預言者の弟子が驚きました。なんとドタンの町を「馬と戦
車をもって取り囲んでいた」のです。そこで直ぐに預言者に知らせ
たところが、エリシャは『恐れることはない。われわれと共にいる
者は彼らと共にいる者よりも多いのだから』と言って、『主よ、ど
うぞ、彼の目を開いて見させてください』と祈り、若者の目が開か
れたとき、『彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャ
のまわりにあった』のを知ったのです。つまり、火の馬と火の戦車
でもって預言者エリシャを守られたのです。わたしたちも神に寄り
頼んでいくならば、神がわたしたちの盾となって敵の手から守って
くださるのです。

 

 夜遅くに高校生が尋ねてきました。彼は椅子に座るや「先生、
学校をやめてもいいですか。もう明日から学校に行きたくない」と
いうのです。そこでわたしは「高校は義務教育ではないから、嫌な
ら無理して行くことはない。しかし、そんなことをしていたら、人
生にはいろいろと大変なことがあるから、一度逃げると、また逃げ
るような人生になる」と話しました。


 高校生の話は、今日学校で級友にいじめられたというのです。そ
の人のガールフレンドをからかったため、その級友が怒って下校時
に校門で待ち伏せ、「お前はなんであんな酷いことをした」と迫ら
れ、自分も悪かったと思ったから「ごめん」と言って謝ったら、
「ほんとうに悪いとおもったら、ここに土下座して謝れ」といわれた
そうです。そこで地面に手をついて謝ったら、頭の上から靴で踏みつ
けられたというのです。そして「明日も楽しみにしているからな」と
言って帰っていきました。その側で同級生が見ており惨めな思いをし、
「こんなんだったら、もう学校に行くのはいやだ、もう辞めてしまい
たい」と思ったそうです。
 

 そこでわたしは、この創世記15章を開いてアブラハムの話をし、
神がアブラハムの盾となって守られたように、あなたの盾となって
守ってくださるから、神を信じて明日も学校にいきなさい」と諭し
て帰しました。


 翌朝、お母さんから電話があり、昨晩子供が先生のところに行っ
たようですが、どうしたんですか、という問い合わせでした。そこ
で「これはお母さんが知らないほうがいい」といい、「家に帰って
からどうしていましたか」と聞きますと、「部屋に閉じこもって夜
どおし電気が灯いていました」という話でした。そこで「今朝、子
供の部屋に入りませんでしたか」と聞くと、「はい、入りました」、
「部屋はどうでしたか」と聞きますと、「机の上に聖書が開いてい
ました」、「それは創世記15章ではないですか」「はい、そのとお
りです」
「それなら大丈夫です。何があったかお母さんが心配した
らいけないので言いませんが
、とにかく祈ってあげてください」と
言って電話を切りました。
 

 夕方、高校生から電話があり、「先生、ありがとうございました。
解決をしました」ということでした。そこで神はどんな解決をして
くださったのか話を聞きますと、一時間目の授業の後、数人の級友
がその生徒を外に連れ出したのです。そしてその生徒をみんなで取
り囲み、「お前、あいつになんであんな酷いことをするのか。あい
つはいいやつじゃないか。これからもあいつに酷い事をするなら、
こんどは俺たちが相手だ」と脅されたそうです。それにびびってし
まい、「わかった」と言っていじめないことを誓ったそうです。つ
まり級友がその高校生の盾となって守ってくださったそうです。
『主はすべて寄り頼む者の盾です』。

 

 その高校生も無事に卒業し、今では立派な社会人として活躍をし
ております。皆様も、辛いこと、悲しいことがあっても、それから
逃げないで、神を盾にしてください。神は必ず皆さんを守ってくだ
さいます。                                 
                          
Mar,06,2011