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2010.3.14
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名がしるされし者

『「しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな、むしろあなたがた
 の名が天にしるされてしるされていることを喜びなさい」。』
                     (ルカ福音書1020節)


 

 

 イエスの弟子たちが伝道旅行をして帰ってきて報告をしたのは、
「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたち
に服従します」とハイテンション(興奮)になって報告をしたとき、
イエスは『むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜
びなさい』と文脈からすればすこし見当違いと思えるようなことを
言われましたが、しかし、これは大事なことを言われたのです。
この『天に名がしらされる』とは、『いのちの書』のことで聖書の
中にはよく出てくる言葉です。そこで『いのちの書』について話し
ます。

 『いのちの書』はイエスの十字架の贖いによって救われた者たち
の名が記されたものです。イザヤ書4章4節に『生命の書にしるされ
た者は、聖なるものととなえられる』とあります。つまり、この書
に名が記されているのは罪が贖われた聖徒、つまりクリスチャンの
名です。平たくいえば天国の国籍です。

 また、『いのちの書』に名が記されている者は、終末の艱難時代が
起こる前に天に携挙されるのです。ダニエル書12章1節以下に、『そ
の時、あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ち上がります。
また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの
悩みの時(艱難時代)があるでしょう。しかし、その時あなたの民は
救われます。すなわち「あの書」(いのちの書に)名を記された者は
皆救われます』とあります。

 これは神がダニエルに与えた終末の預言です。そして、まず終末の
はじめに7年間に亘る『艱難時代』が起こるのです。ところがこの恐
ろしい艱難の時が起こる前に贖われた聖徒、つまり『いのちの書』に
名がしるされている者はみなイエスが空中再臨され天に携挙されるの
です。『あの書に名がしるされている者は皆救われます』とはこのこ
とを言っているのです。

 『艱難時代』については、イエスもマタイ福音書24章で次のように
言っておられます。『その時には、世の初めから現在に至るまで、
かつてなく今後もないような大きな艱難が起こる』と。

 また『空中再臨』の有り様については、テサロニケ第一書4章13節
以下に記されています。その中に『その時、キリストにあって死んだ
人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたち
が、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうし
て、いつも主と共にいるであろう』とあります。

 ですからもういちど言いますが、『いのちの書』に名が記されてい
る者は、艱難時代が起こる前に天に携挙されるのです。

 次に、ヨハネ黙示録20章11節を見るとキリストの最後の審判のこと
が書かれています。『また見ていると、大きな白い御座があり、
そこにいますかたがあった。…また、死んでいた者が、大いなる者も
小さき者も共に、御座の前にたっているのが見えた。かずかずの書物
が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であっ
た。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることに従って
さばかれた』とあります。

 これは世の終末の『キリストの審判』のときのことです。ここにある
『大きな白い御座』とはこの審判のときのことです。そしてそのとき、
先に死んだ罪人も復活し(これを「第二の復活」と言い、みなキリスト
の御座の前に立たされて裁きを受けるのです。しかし、罪が贖われた
聖徒たちは審かれるのではなく『報いを受ける』ときであります。

 さて、キリストの審判のときに二つの書物が開かれるとあります。
一つは『かずかずの書』、もう一つは『いのちの書』です。
この『かずかずの書』とはわたしたちの生涯の様々な行状を書かれた
もので、それに従って審きが行われるのです。コリント第一書5章10節
には『わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前に現れ、善であれ
悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばなら
ない』とあります。

 『かずかずの書』にはわたしたちの全生涯の行状が書かれていると
言いましたが、イエス・キリストの十字架の贖いを信じて救われた者
は、そのときに、それまでの全生涯の罪人時代の記録は消されるので
す。ここに贖いの尊さがあるのです。
 
 イザヤ書1章18節に『たといあなたがたの罪は緋のようであっても、
雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになる
のだ』とあります。ここにある「緋」とは染めかたのことで、染めた
ものが色落ちしないように二度染めをすることだそうです。それほど
頑固な染料でも雪のように白く消されるという意味なのです。ですか
ら救われて『いのちの書』に名がしるされた者のそれ以前の過去の
生涯は、白紙なのです。これこそ十字架の贖いの尊さなのです。

次に、『いのちの書』が開かれて審判を受けるのですが、もしこの中
にわたしたちの名がなければ大変なことになります。ですからわたし
たちの『いのちの書』に名がしるされていることを大事にしたいもの
です。神に背き、罪を犯して『いのちの書』から名が消されないよう
に気をつけなければなりません。

 ヨハネ黙示録21章27節には大切なことが書かれています。
『はいれる者は、小羊の命の書に名がしるされている者だけである』
と。この『はいれる者』とは、その次の章にある『新天新地』のこと
です。これがわたしたちクリスチャンの最終目的地なのです。
 
 また、同じ黙示録20章15節には『このいのちの書に名がしるされ
ていない者(罪が贖われていない者)は、みな火の池に投げ込まれる』
とあります。これは平たく言えば「地獄の滅び」です。
つまり『いのちの書』に名がしるされているということは、こんなに
大事なことなのです。ですからいま『いのちの書』に名がしるされて
いる者は、それを感謝すると同時に、間違っても名が消されないよう
に気をつけなければなりません。

    福音讃美歌 454番

   1、くちゆくたから などか惜しまん
     きえゆくさかえ などか慕わん
     あまつのぞみを われにしめし
     きみのそばに  ゆかせたまえ
     (折り返し)
     主よわが名は  あまつくにの
     聖きみふみに  しるされしや

   2、わがつみけがれ 緋のごとくに
     あかくありとも きよき血にて
     ゆきよりしろく きよむべしと
     みちかいにたち われはやすし
   
   3、あまつつかいの うたわたえず
     あだのしわざの つゆもあらぬ
     さかえかがやく かみのくにの
     わが名はとわに しるされたり
     (折り返し)
     うれしきかな  わが名すらも
     天つみふみに  しるされたり
 

                       (Mar 14.2010)