本文へスキップ
2011.3.21
                                                      戻る

  

       

  奇跡のような出来事

 

『主がシオンの繁栄を回復されたとき、われらは夢みる者のよう
であった。その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜
びの声で満たされた。その時「主は彼らのために大いなる事をな
された」と言った者が、もろもろの国民の中にあった。主はわれ
らのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ』。  
                                    詩篇126篇1〜3節
 

このみ言葉は、この度の『三次キリスト伝道館』の献堂式のご
挨拶状の冒頭に掲げられたものです。そしてここに三次の教会の
皆様の喜びが見えるような気がしました。


この教会は昨年の秋に完成しておりましたが、ある事情で半年
後の今日の献堂式となったのです。その事情とは、米田喜代子先
生から「教会が完成しましたので献堂式をお願いします」と電話
がありました。ところがその日は友人の奥さんの記念会が予定さ
れ、わたしが司式に行く予定をしていましたので「誰かほかの人
にお願いしてくれませんか」と返事をしましたら、「どうしても
坊向先生に来ていただきたい。先生のご都合つく日まで待ちます」
ということでした。そこで「都合のつく日は来年の3月ごろにな
りますが」といいましたら、「3月にお願いします」ということ
で、半年遅れの献堂式となった次第です。



米田喜代子先生がなぜわたしにこだわったのかと言えば、この
献堂にはわたしと深い因果があるからです。今から10年ほど前に
ご主人の米田末春先生が亡くなり、わたしと若いころからの戦友
で、よく各地の聖会や特別集会のご用に行っておりました関係で、
わたしが告別式の司式をいたしました。その後、食事をしていた
とき、隣に米田喜代子先生の伯母がおられたので、「伯母さん、
あなたは大阪で大手の電気メーカーの下請けでたいへん儲けてお
られるそうですから、広島に教会を建てあげてくれませんか」と
気軽に話をしました。そのとき伯母さんはなにも答えられません
でしたが、それが数年後に現実になるとは思えませんでした。
 



広島の教会は土手の上にある小さな借家で、いつ壊れても不思議
でない建物でしたので、活水の群と信徒の皆さんにお願いして教会
の建築のことを考えていました。ところがある日、米田喜代子先生
から電話があり、「いよいよ広島に教会を建てることになりました」
という報告でした。そこでわたしは「よく決心しましたね。では群
の教会にお願いして募金をはじめましょう」と言いますと、「いり
ません」と言われました。そこで「どうしたんですか」と聞きます
と、「大阪の伯母が建ててくれることになりました」という返事で
した。わたしの言ったことがやっと現実となったのです。



なお米田先生が「ただひとつ条件があるのです。伯母は自分の葬式
は神戸の山手教会で坊向先生にしてもらいたいと言っていますが、
先生お願いしてもいいですか」、わたしはそれを聞き、伯母さんはノ
ンクリスチャン(未信者)ですが、これを断って広島の教会の建築が
反故になったら困るので、「はい、わかりました」とお受けしました。
そして建築が進んで完成し献堂式をしましたが、これが広島市安佐南
区にある『広島活水キリスト教会』です。


それから2年後に米田喜代子先生から電話があり、「伯母が亡くな
りました。お葬式のことをよろしくお願いします」と知らせがきまし
た。そこで「お葬式はいたしましょう。ただ広島には伯母さんが建て
てくださった教会があるから、そこでしてはどうですか」と話したら、
米田先生も「それはいいですね」ということで、伯母さんが建てた教
会で、告別式をを営みました。しかもその新しい教会での最初の告別
式となったのです。そしてその司式の中でこの経緯を話しました。



 それから二年ほどして米田喜代子先生から電話があり、「こんど
三次の教会の建築をはじめます」と言ってきましたので「費用はどう
するのですか」と聞きますと、伯母の遺産がもう一軒教会を建てられ
るほど残っているからそれで建てます」ということでした。そして本
日の献堂式となったのです。つまりノンクリスチャンの伯母さんが二
軒も教会を建てたのです。前代未聞の奇跡のような出来事でした。

 

しかし、米田先生は欲がありませんね。伯母さんには子供がなく
唯一の相続者が喜代子先生ですから、伯母さんの遺言で遺産をもらっ
たのですから、それを自分のものにしてもなんら遜色はありませんの
に。それで教会を建てたら、教会は神様のものですから米田先生のも
のにはなりません。なんという欲のないと言うか小気味のいいほど潔
い(いさぎよい)ことではありませんか。


次に、どうして大阪の伯母さんが米田家のために、こんなによく
してくださったのでしょうか。それには話を50年ほど昔に逆上らな
ければなりません。米田末春先生が喜代子先生と結婚をしたとき、
喜代子奥さんは親ひとり子ひとりでしたから、お母さんが寂しいだ
ろうと、お母さんも一緒に迎えたのです。そして三人で新婚生活を
はじめましたが、お母さんはこのときはまだ未信者でした。末春先
生はお義母さんを親切にお世話をしましたので、わたしが行きまし
ても、「婿は優しい、わたしのようなものを大事にしてくれる」と
喜んでいました。そしてその次の年の聖会に行ったとき洗礼を受け
られたのです。
 



その米田先生がお義母さんを大事にしている姿を見て大阪の伯母
が感激をして、米田家のために何かと支援をしてくださったのです。

 


こんなことがありました。活水の群が広島で開拓伝道をすること
になり、米田末春先生に担当をお願いしました。先生も開拓伝道に
意気を感じて三次と広島を掛け持ちで伝道をしてくれました。そこ
である日、先生に「バイクを贈ろうか」と言いますと先生は「車が
いい」と言ったのでわたしは困りました。バイクならわたし一人の
手でなんとかなると考えていましたので、数人の友人たちに応援を
して貰って車を贈りました。しかも中古車の軽自動車でした。でも
米田先生はとても喜んでくれたのです。


ところが数年後に会ったときに「車は動かなくなった」と言いま
した。わたしもぼつぼつダメになるのではないかと思っていました
ので、次の車を用意しなければと思っていたところが、先生は「車
が与えられました」と言って見せてくれました。なんと、こんどは
大きな車で三百万円ほどもする新車でした。「どうしたのですか」
と聞きますと、「大阪の伯母が買ってくれました」ということでし
た。

このように大阪の伯母は米田家のために常に支援をしてくださっ
たのです。それは前にも言ったように、米田先生が奥様のお母様の
ために愛を尽くして親切にお世話をされたからです。わたしが何気
なく言った言葉がこんなに実現をするなんて、しかも二軒の教会が
与えられたのですから、まるで奇跡のような出来事でした。それも
ノンクリスチャンの伯母さんが捧げてくださったのですから、神が
なさることは実に素晴らしいことです。まさしく前代未聞の出来事
でした。                
                      (Mar,21,2011