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2011.3.27
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ロトが救い出されたのは

 

『こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわちロトの住ん
でいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅び
の中からロトを救いだされた』     (創世記19章29節)

 

アブラハムと別れたロトの一族が住んだのはソドムという死海
のほとりの町でした。ここは『主の園のように、またエジプトの
地のように、すみずみまで潤っていた』とあるように豊かな繁栄
をした所でした。しかし「繁栄のあるところには堕落がある」と
言われるように、そこに住んでいた人たちは
神を畏れない奸悪な
人たちでした。そこで神はその地を火と硫黄でもって滅ぼされた
のです。そのときロトとその家族は助けだされたのです。



 なぜ、ロトとその家族だけが助け出されたのでしょうか。聖書
の記事を見ると彼らが格別に助け出されるような立派な人たちに
は思えません。たとえば、191節を見ると「そのときロトはソ
ドムの門に座っていた」とあります。当時の町は外敵の侵入を防
ぐために城壁で囲まれ、何箇所かの門から人々は出入りをしてい
たのです。そして町の長老たちが門に座って出入りする人々を監
視をしていたのです。ところが、ロトがこの長老たちの仲間に加
わっていたのは、新参者のロトには考えられず、もしこれが本当
なら、よほどソドムの町の人々と同化していたに違いありません。
そんなロトでした。

 

 また、14節には『そこでロトは出て行って、その娘たちをめと
るむこたちに告げて言った、「立ってこの所から出なさい。主が
この町を滅ぼされます」。しかしそれはむこたちには戯れごとに
思えた』とあります。ロトは神がこのソドムの町を滅ぼされるこ
とを知ったとき、娘たちと結婚する婿たちにそのことをしらせた
のです。ところが自分たちの生命に関する重大な事を誰ひとり本
気にするものはなく「戯れごと」(冗談)と思わなかったのです。
それはロトの日ごろの生きざまが家族にも証しになっていなかっ
たからです。わたしたちもいいかげんな生きかたをしておれば、
家族に対して証しにならず、いざ重大なときに誰も本気にされま
せん。その反面、わたしたちが日ごろから神を畏れて敬虔な生き
かたをしておれば、家族も真剣に聞いてくれるはずです。

 

そのような、家族にも証しの立たないようなロトでしたが、ソド
ムの滅亡前に滅びの町から救い出されたのです。それは『神はア
ブラハムを覚えて、滅びのなかからロトを救いだされた』とある
ように、アブラハムの祈りのゆえでした。18章を開くと22節から
33節までアブラハムの執り成しの祈りがあります。彼はソドムの
町が滅ぼされることを知ったとき、その町に甥のロトとその家族
のいるのを知っていましたから、なんとかしてその町が滅ぼされ
ないように神に祈ったのです。その祈りは、まるで神と取引のよ
うな祈りです。

 

 「もしこの町に五十人の正しい人がいたら、その五十人のため
に町を滅ぼされないですか」。しかし町には五十人の正しい人も
いませんでしたので、また「それでは四十五人ではいかがですか」、
しかし四十五人もいませんでしたので「では四十人だったらどう
ですか」といったように五人刻みに取引をしましたが、最後は十
人の正しい人もいませんでした。

 

 どうしてアブラハムはこんなに小刻みに値切るような祈りをす
ることができたのでしょうか。この様な大胆な祈りをささげるこ
とができたのは、アブラハムの愛と信仰です。ヨハネ第一書4
18節には『愛には恐れはない。完全な愛は恐れを除く』とありま
す。わたしたちも愛に満たされたら、アブラハムのように大胆に
祈ることができるのです。わたしたちがいつも捧げる『祷告』の
祈り(執り成しの祈り)も愛がなければできるものではありませ
ん。

 

 ガラテヤ書5章22節に『御霊の実は愛…』とあります。つま
り御霊に満たされてはじめてほんとうの愛の人となるのです。

霊は祈る人に注がれる神の力です。そして御霊に満たされたいい
働きをする人は、いつもよく祈っている人です。皆様も祈って御
霊に満たされて人々を愛することのできる愛の人とされたいもの
です。

 

 教会ではいつも教会員の皆様の名前をひとりひとりあげて神様
に執り成しの祈りをしておりますが、教会員の多い教会では長い
時間がかかります。この『祷告の祈り』を続けるためには霊力は
いうにおよばず、体力も、そして教会員に対する愛がなければな
かなか続けられるものではありません。

 

 『絶えず祈りと願いをし、どんな時にも御霊によって祈り、そ
のために目をさましてうむことなく、すべての聖徒のために祈り
つづけなさい』(エペソ書6章18節)。これは坊向久正師の愛
唱聖句です。そして生涯を通してこのみ言葉を守ったのです。わ
たしたち山手教会の信徒はこの御言葉のように祈り続けるもので
ありたいものです。

                       (Mar,27,2011