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2010.3.28
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神殿の幕が裂けたのは

 

『イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。すると見よ、

 神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた』。

                     (マタイ福音書2751)

 

 今日から『受難週』に入りますが、この日イエスはろばの子の背に乗り

エルサレムに入場されました。そのとき群衆は棕櫚の葉を手にして『ホサ

ナ、ホサナ』と叫んで歓迎しましたので、『棕櫚の聖日』として

キリスト教会では記念の礼拝を守っています。

 

 そして、この『ホサナ』とは「今、わたしたちを救ってください」とい

う意味で、イエスをメシヤ(救世主)として迎えたのです。ところが、5日

後にはピラトの裁判の場で「イエスを十字架につけよ」と叫ぶ群衆に変貌

してしまったのです。

 

 さて、イエスは金曜日の早朝にローマの総督ポンテオピトの裁判を受け

られましたが、その間の出来事は今日お配りした『マタイ福音書による

受難の一週間』というプリントをご覧ください。

 

 イエスは十字架にかかられる日、つまり金曜日の早朝からポンテオピラ

トの裁判の場に引き出されました。そしてユダヤ人たちはさまざまなこと

を悪しざまに訴えましたが、イエスは何と言われても一言もお答えになら

ず、ピラトが不思議に思うほどに沈黙を守られたのです。

 

 それは何故でしょうか。もしここでイエスが彼らの偽証に反駁して自分

の無実を実証すれば、無罪になるのは確実です。しかしそうすればイエス

の無実が明らかになるかもしれませんが、人類のための罪の贖いを完成

することはできません。そこでイエスはあえて自分が罪人となり、わたし

たち人類の罪の贖いを完成するために十字架にかかって死んでくださった

のです。これがイエスが沈黙を守られたわけなのです。

 

 死刑を宣告されたイエスは、早速に処刑するためにエルサレムの郊外に

あるゴルゴダの丘に連行されました。イエスの担ぎ慣れない重い十字架を

負っての行進は難儀をきわめました。そしてその重さのために幾度となく

倒れたのです。この遅々とした行進を見て苛立ったローマ兵は、沿道で見

物をしていた屈強な男を引っ張りだして、彼に十字架を負わせました。

 

 この男は『クレネびとシモン』といい、彼はエジプトの地中海側の今日

のリビアの人でした。そして彼はユダヤ教の信者で、この翌日からはじま

る『過越の祭』のためにエルサレムに来ていた人でした。彼は突然ローマ

兵に引き出されて十字架を負わされたのです、彼の心中は複雑でした。

なぜなら、「なぜ自分が、こんな知らない人の十字架を負わなければなら

ないのか」。「沿道の人々は自分が極悪人と間違うではないか』と・・・。

しかし占領軍の命令には反抗することはできず、仕方なく十字架を負う

たのです。

 

 しかし、クレネびとシモンがイエスの十字架を負うたことが、彼と家族

の生涯を大きく変えていったのです。それは彼らの名前が聖書の中に登場

していることからも判断することができます。

 

 使徒行伝131節に『アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲル

と呼ばれるシメオンがいた』とあります。このアンテオケの教会は『アン

テオケではじめてクリスチャンと呼ばれた』とあるような恵まれた教会で

す。その教会の中にバルナバ(この人は聖霊と信仰とに満たされた人と

して紹介されていますが)の次に、『ニゲルと呼ばれるシメオン』と名前が

出ていますが、この『ニゲル』とは『ニグロ』(黒人)のことで、彼は北ア

フリカの人でしたから色が黒かったので、人々からそう呼ばれていたので

しょう。また『シメオン』とは「シモン」のことです。

 

 つまり『クレネびとシモン』はローマ兵によって無理に十字架を負わさ

れたのでしたが、そのことが動機で彼はイエスの信者になったのです。し

かもバルナバの次に名前が書かれるほどのエルサレム教会では有名な恵ま

れた人となったのです。

 

 ところが、もっと驚くことがあります。マルコ福音書1521節に『そ

こへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外から

きて通りかかったので、人々は十字架を無理に負わせた』とあります。

これはイエスの十字架を負うたクレネびとシモンのことを言うのに、『ア

レキサンデルとルポスの父』という書き方をしています。この『アレキサ

ンデルとルポス』とは彼の息子たちの名前なのです。そしてシモンを紹介

するときに『アレキサンデルとルポス』の名前が付けられたのは、当時の

エルサレム教会では父シモンよりも、彼らのほうが有名なほど恵まれた

信者だったからだと推察されます。

 

 またローマ書1613節には『主にあって選ばれたルポスと彼の母とに

よろしく、彼の母はわたしの母・・・』とあります。ここにあるルポスとは、

先に紹介したシモンの息子のことです。そして、『彼の母』とはシモンの

妻のことです。そして彼女はパウロに忠実に仕え奉仕したので、『彼の母

はまたわたしの母である』と感謝されるほど恵まれた人だったのです。

 

 つまり、シモンがイエスの十字架を負うたことによりその信奉者にな

っただけではなく、彼の妻も、そしてまた息子たちも恵まれた信者とな

り、エルサレム教会では有名な家族となったのです。

 

 ヨハネ福音書137節に『わたしのしていることは今あなたがたに

はわからないが、あとでわかるようになる』。(文語訳では、『今、知ら

ず。のち知るべし』)とあります。ですからわたしたちもときには無理

に十字架を負わされることがあっても、その意味が後になって知ること

がありますから、お従いしたいものです。

 

 さて、イエスはゴルゴダの丘で朝の9時から3時まで十字架にかけら

れていました。そして『すべてが終わった』と叫ばれて息を引き取られ

たのです。『すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた』

のです。これには大切な意味があります。

 

 これはイエスの十字架の贖いが完成された象徴的しるしだったのです。

神殿には『聖所』と『至聖所』とがあり、この間には幕が張られ、奥の

『至聖所』には神の臨在するところで誰も近づくことができない聖域で

した。そして大祭司だけが、年に一度だけ入ることがゆるされていたの

です。この神殿の幕が人間と神との『隔ての中垣』となっていました。

 

 ヘブル書97節には『幕屋の奥には大祭司が年に一度だけはいるの

であり、しかも自分自身と民とのあやまちのためにささげる血をたずさ

えないで行くことはできない。それによって聖霊は、前方の幕屋が存在

している限り、聖所にはいる道はまだ開かれていないことを、明らかに

示している』とあります。

 

 ところが、この神殿の幕が真っ二つに裂けたということは、神と人間

との間にある隔ての中垣が取り除かれたことで、わたしたちの罪の贖い

が完成し、だれでも『アバ父よ』とはばかることなく神に近づくことが

できるようになったということです。

 

 ヘブル書98節に『前方の幕が存在している限り、聖所に入る道は

まだ開かれていない』。つまり神と人間との間に幕がある限り神に近づ

くことはできなかったのです。ところが神殿の幕が裂かれたことによっ

て神とわたしたちとの間にある中垣は取り除かれたのです。1019

には『このようなわけでわたしたちがイエスの血によってはばかること

なく聖所に入ることができ、わたしたちのために開いてくださった新し

き生きた道をとおして入ることができる』とあります。

 

 ヨハネ福音書146節に『わたしは道である』とあるのはこの意味

で、十字架上で流された血潮によってわたしたちの罪は贖われ、神に

近づくことができるようになったのです。この十字架の道(血潮)によっ

てわたしたちは神に近づくことをゆるされるのです。柘植不知人先生は

『尊き御名と流された血潮を崇めます』とお祈りされましたが、これは

十字架上で流された血潮を崇められたからです。そして、この血潮なく

してわたしたちの罪の贖いはなかったのです。

                                                 (Mar.28.2010)