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2010.4.4
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十字架と復活について

 

 『御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。

 あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜して

 いることは、わたしにわかっているが、もうここには

 おられない、かねて言われたとおりに、よみがえられた

 のである。』     (マタイ福音書286)

 

 金曜日に十字架におかかりになったイエスは、その日のうちに

アリマタヤのヨセフの手によって、自分のために用意していた

新しい墓に葬られました。そして日曜日の朝、女性たちがその墓

を尋ねたところ、すでに墓の石が取り除かれていて、イエスは

復活をしておられたのです。

 

 このイエスの復活の事実を知った弟子たちは、『弟子たちは主を

見て喜んだ』(ヨハネ2020)とありますように、彼らの失望落胆

は喜びに変えられたのです。

 

 さて、イエスの復活はただ弟子たちだけではなく、信ずるわたし

たちにも大きな喜びとなりました。そこで三つの面から復活の意義

について話します。

 

 その一つは、イエスの復活はサタンの死の力に打ち勝たれたと

いうことです。サタンはイエスが復活しないように墓の石で封印を

しましたが、そのサタンの力に打ち勝たれたのです。人間はどんな

人でもサタンの力に勝つことはできません。それほどサタンの力は

強いのです。ところがイエスはこの死の力に打ち勝たれたというこ

とは、わたしたちも神の力によってサタンに勝つことができるとい

うことです。

 

 第二は、イエスの復活は、わたしたちの罪の贖いが完成したこと

を示すものであったのです。そして、第三は、ただイエスが復活

されたというだけではなく、わたしたちにも復活の信仰が与えられ

たのです。ですから世界中でイエスの復活を喜ぶのです。

 ヨハネ福音書1125節に、『わたしはよみがえりであり、命である。

わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。

また、生きていて、わたしを信じる者
は、いつまでも死なない』

とあります。

 人類のいちばんの敵は『死』です。これは始祖アダムとエバが

エデンの園で神の戒めに背いた結果、死が人類に入ってきたので

す。これは百パーセントの確立なのです。そしてこれから逃れる

者はありません。この死を恐れるのは、死そのものを恐れるとい

うよりも、死んだ後にある神の審判を恐れているのです。

 

 しかし、イエスの復活を信ずる者は『死んでも審かれることな

く、永遠の生命に移されていく』のです。

 

 わたしも少年時代は死の恐怖の奴隷でした。それは11歳の時

に姉を病気のために失い、また翌年に母も同じように病気で亡く

しました。終戦直後のため食料や医薬品が十分になく、なすすべ

もなかったのです。そのために死を恐れる少年でした。しかし、

イエス・キリストを信ずるようになり死の恐怖から解放されたの

です。

 

 ヘブル書214節に『それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔

を、ご自身の十字架の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯

奴隷となっていた者たちを、解き放つためである』とあります。

 

 「信心なんて弱い人間のすることだ」と言っていた老人が、いざ

病気になり入院したときに死の恐怖にとりつかれて、夜もまんじり

ともできなくなりました。そこでクリスチャンの娘さんが自分の通

っている教会の牧師に頼んで信仰のお話をしてもらいました。する

とお爺さんは、牧師の話が終わるやいなや、「先生、わたしに洗礼

を授けてください」と言ったのです。そこで早速に病床洗礼を授け

ました。

 

 それが動機で再び元気になったお爺さんは、それから恵まれた

クリスチャンとして生涯を送りました。それから数年後、天寿を

全うして天に召されたのですが、その最後は、「万歳、万歳、

筒一杯の感謝をささげます。わたしはこれから天国に凱旋します」

と言って静かに息を引き取られました。あれほど死ぬことを恐れて

いた人が、最後は「万歳、万歳」と言って静かに召されたのです。

これは復活の信仰が与えられたからです。

 

 世界中のキリスト教徒がこの復活祭を喜び祝うのは、ただイエス

が死の墓から復活をしたという事実だけではなく、わたしたちも共

に復活するという信仰による喜びなのです。

 

 ヨハネ福音書1125節に『わたしはよみがえりであり、命であ

る。わたしを信じる者はたとい死んでも生きる(復活する)』とあります。

つまり、わたしたちの肉体的生命はたとえ死んでも、信じて復活

の力を得ている者は、また復活して天に携挙されるのです。

 

 テサロニケ前書416節『主ご自身が天使のかしらの声と神

のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。

その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、


それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包ま
れて


引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共に

いるであろう』。これはキリストのご再臨(空中再臨)のときの

光景です。そして、この時、最初に先に召されて眠っている聖徒

たちが復活して天に携挙され、その後、地上にある聖徒たちが

天に携挙されるのです。ですから、復活の希望をもっている人

たちはさいわいです。

 

                   (Apr.04.2010)