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2011.5.1
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 死の恐怖の奴隷から解放

 

『それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死に
よって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者
たちを、解き放つためである』。
   (ヘブル書2章15節)

 イエス・キリストの復活は死の恐怖の奴隷であったわたしたち
を解放するためでした。そして復活の信仰が与えられた者は、も
う死の恐怖のために苦しむことがなくなってしまったのです。人
間にとっていちばんの恐怖は死の恐れです。それは死ぬことを恐
れるというよりも、死の後にあるキリストの審判を恐れているの
です。コリント前書1554節には『死は勝利にのまれてしまっ
た』とあります。わたしも少年時代に母と姉を立て続けに失った
ために死の恐怖の奴隷のようなノイローゼ状態でした。しかし、
復活の信仰をもつようになりその恐れも消え失せてしまいました。
そして今日まで平安な人生を送っております。
 

さて、今日はイエスの弟子のペテロが復活されたイエスに出会
ってから、どのように変えられたかをお話しをします。彼はイエ
スの弟子の中でも特異な存在でしたが、それだけまたイエスに格
別に愛された人でした

イエスが捕えられたとき、イエスの後をついて大祭司カヤパの
庭にもぐり込みました。ところがそこでイエスの弟子であること
を指摘されたとき、「わたしはその人を知らない」「何の関わり
がない」と言って否定をしたのです。そして三度拒んだときに鶏
が鳴き、イエスが『今夜、鶏が鳴く前にあなたは三度わたしを知
らないと言う』と言われた言葉を思いだして、自分の弱さ不甲斐
なさを思い出して涙をしたのです。

 

また、イエスが十字架におかかりになったときも、自分たちに
も迫害の手が伸びることを恐れて、家の中で息をひそめていた人
でした。ところが、復活のイエスに出会ってからはペテロは大胆
になりイエスの復活を宣伝するものに変えられたのです。イエス
が復活したということを宣伝することは、ユダヤ人宗教家たちに
とっては具合の悪いことで、墓の番人に金をやり「イエスの亡骸
は弟子たちが盗み出した」と言わせたほどでした。なぜなら、
イエスがもしほんとうに復活をしたとするならば、メシヤ(救世
主)を自分たちが殺したことになるからでした。

しかし、ペテロたちは恐れず大胆にイエスの復活を宣伝をして
います。使徒行伝223節に『あなたがたは彼を不法の人々の手
で十字架につけて殺した。神はこのイエスを死の苦しみから解き
放って、よみがえらせたのである…』と語っています。また32
には『このイエスを、神はよみがえらせた。そしてわたしたちは
皆その証人である』と大胆に語っています。また314節には、
『あなたがたは、この聖なる正しいかたを拒んで、人殺しの男を
ゆるすように要求し、いのちの君を殺してしまった。しかし神は、
このイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、そ
の事ので証人である』と大胆にイエスの復活とその意味を証言し
たのです。そしてきわめつけは『だから、自分の罪をぬぐい去っ
ていただくために、悔い改めて本心に立ち返りなさい』と迫って
いるのです。

 

イエスが捕えられたとき、カヤパの庭でイエスの弟子であるこ
とを告白することのできないように弱いペテロが、どうしてこん
な大胆な人に変えられたのでしょうか。それは復活されたイエス
に出会い、復活の信仰をもったからです。わたしたちも復活の信
仰をもつなら死を恐れなくなります。そしてペテロのように大胆
に主を証しをすることができるようになるのです。

 

その後のペテロはイエスの復活の証人として壮絶な人生をおく
り、AD64年のネロ皇帝による『キリスト教徒迫害事件』のとき
にローマで殉教をしています。この舞台を小説にしたのが『クオ・
バディス』(主よ、どこにいかれるのですかという意味)という
題名の小説があります。この中に迫害を逃れてローマ郊外にいた
ペテロが復活されたイエスに出会ったのです。そしてペテロが
「主よ、あなたはどこに行かれますか」と尋ねたとき、イエスは
「わたしはあなたに代わってもういちど十字架に掛かりにいく」
といわれたのです。それを聞いて、いま迫害から逃れようとして
いた自分の卑怯さをしらされ、ペテロはローマに引き返して殉教
をしたのです。これは小説の一節です。

 

日本にも美しい殉教物語があります。それは長崎で十字架に
かけられて殉教をしたキリシタンの話です。1596年の豊臣秀吉
の時代に、キリシタンの信徒が激増して、将来自分の支配に支障
をきたすことを恐れた秀吉はキリシタンを迫害することを考え、
まず京都にいるフランシスコ会派の宣教師と信徒24名を捕縛し
ました。そして処刑地の長崎に護送されたのですが、途中から
殉教志願者が一行にもぐり込み、長崎に着いたときには26名に
なっていたのです。そこで長崎奉行は一行の中でいちばん小さい
12歳の少年ルドビコという日本人の少年を呼んで言ったのです。
「お前の命を助けてやるから、自分の元で働け、ただしキリシタ
ンの信仰を棄てることだ」と。ところがその少年は、「それほど
までして命を助かろうとはおもいません。たちまち滅びる短い肉
体の命と、永遠の生命とは取り替えられるわけはございません」
と答えて、平然と十字架にかかって殉教をしたのです。この少年
の信仰の力は、彼も復活の信仰をもっていたからです。
                     (May,01,2011