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2010.5.9
                                                      戻る

三人の女性の信仰について

 

『あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである。

しかし主を畏れる女はほめたたえられる』。 

                 (箴言3130)

 

 

 今日は『母の日』にちなんで聖書に登場する女性の信仰に

ついて話します。ある人から「教会も世間に迎合して母の日

をするのですか」と質問を受けたことがありますが、

『母の日』は元来キリスト教会から始まった行事なのです。

今から百年ほど前、つまり、1908年ころからアメリカの

バージニア州のメソジスト教会が起こりで、アンナ・シャー

ブィス夫人を記念したことからはじまったものです。

 

 ところが戦後、日本に入ってきて(一説によると大正時代

)五月の第二日曜日に行われる教会行事となりました。今

日では日本の国民的行事のようになっていますが、とにかく

母親に感謝することはいいことです。

 

 また、昔はまだ母親が生存している方は胸に赤いカーネー

ションを飾り、既に母親が天に召されている方は胸に白い

カーネーションを飾って教会の礼拝に出席をしたものです。

 

 そこで今日は『母の日』にちなんで、聖書に登場する三人

の母の信仰について学びたいと導かれています。その最初は

イエスの母マリヤの信仰です。ルカ福音書1章を見ると、イ

エスの降誕の由来が書かれていますが、マリヤはガリラヤ地

方の寒村ナザレに住む未婚の女性でした。そのマリヤが救い

主の母として選ばれたのですから驚天動地のできごとでした。

 

 何故なら、彼女は同じ村の大工ヨセフという人と婚約を

していましたが、まだ結婚をしていませんでした。その彼女

に神は救い主イエスの懐妊を知らせたのですから。彼女はそ

の話を受け入れてよいか躊躇しました。まだ結婚もしていな

い女性が懐妊をしたとなると、不貞をしたと誤解され、石で

撃ち殺される恐れがあるからです。ですから、いくら神の命

令とは言え従い得ないこと、また自分として避けたい出来事

でした。

 

 ところが、神からそのみ旨を示されたとき、彼女は自分の

思いや考えを捨てて、己に死にきって『わたしは主のはした

めです。お言葉どおりこの身に成りますように』と従ったの

です。これがマリヤの信仰で、この信仰がなければイエスの

誕生はもっと違ったものになっていたと考えられます。

 

 次に取りあげるのはモーセの母の信仰です。彼女の信仰は

最後まで神の救いを信じて諦めない信仰です。少しこの時代

の背景を話しますと、この時代は今から三千五百年ほど前の

ことで、この当時はイスラエルの民はエジプトの地で奴隷と

なって過酷な労働に使役していました。

 

 ところがエジプトの王パロは、イスラエルの民の人口が

これ以上増加することを恐れ、なんとかしてこれをくい止め

ようとしました。エジプトの助産師を使った計画に失敗した

パロ王は、「イスラエルの民に男の子が誕生した場合は

ナイル川に投げ込んで殺してしまえ」といった、人を人とも

思わない命令を奴隷の民に下しました。そしてイスラエルの

民の間で悲嘆の嘆きと叫びが聞こえるようになりました。

 

 そんなときに誕生をしたのがモーセでした。モーセの母は

レビ人の娘です。『女はみごもって、男の子を産んだが、その

麗しいのを見て、三月のあいだ(天幕に)隠していた』のです。

ところが子供が次第に大きくなり、泣き声も大きくなったの

で、もうこれ以上隠しきれないことを悟った母は『パピルス

で編んだ籠を取り、それにアスファルトと樹脂とを塗って、

子をその中にいれ、これをナイル川の岸の葦の中においた』

のです。つまりこれがモーセの母の信仰だったのです。

 

 つまり、自分の手に負えなくなったとき、葦の舟をつくっ

てナイル川に流したのですが、これは「せめて自分の目の届

かないところで死んでくれたらいい」といった諦めではなく、

自分の手に負えなくなったときに神のみ手に委ねたのです。

その証拠は葦の舟に『アスファルトと樹脂を塗った』という

言葉からもわかるように、舟が沈まないで、どこかで誰かに

拾われて助けられることを望んだからです。

 

 そして、そのモーセがナイル川に水浴にきていたパロ王の

娘に拾われたのです。そして彼女は、モーセを包んでいた毛

布の柄からイスラエルの子であることが分かっていましたが、

王宮の中で自分の子として育てたのです。つまり自分の手に

負えなくなったとき、不信仰を起こして投げやりにならない

で、神の救いを信じて神のみ手に委ねたとき、神は奇抜な方

法でモーセを救われたのです。コリント後書48節に

 

『途方に暮れても行き詰まらない』

 (せん方尽きても望みを失わず)

 

とありますが、信仰を持っている人は、どんなに行き詰まる

ようなことがあっても、決して不信仰を起こして諦めたり、

投げ出したりはしません。そして神は、最後まで信じて従う

者の上に働いてくださるのです。

 

 三人目はサムエルの母ハンナの信仰について話します。

ハンナは『涙の祈り』を神にささげた人です。ハンナが聖書

に登場したのはイスラエルの歴史の『士師時代』です。そし

てハンナの祈りによって誕生したサムエルは、イスラエルの

『王国時代』の創建のために大きな貢献をしました。

 

 彼の母の信仰は諦めないで祈る信仰でした。しかもその祈

りは『涙の祈り』でした。ハンナは子供に恵まれませんでし

た。しかし何としても子供を与えられたい彼女は毎日宮に来

て祈っていました。そしてその祈りは『ハンナは深く悲しみ、

主に祈って激しく泣いた』とあります。

涙を流すほどの祈りは真剣な祈りです。

 

 それを見た祭司はハンナが酒に酔ってくだをまいているの

と誤解したほどでした。しかし、ハンナの祈りが真剣な祈り

であることを知ったとき、祭司は『安心して行きなさい。

どうかイスラエルの神があなたの求める願を聞きとどけられ

るように』と祝福してくださり、与えられたのがサムエル

だったのです。つまりサムエルは母ハンナの祈りによって

与えられた子だったのです。

 

 詩篇69節に『主はわたしの泣く声を聞かれた。主は

わたしの願いを聞かれた。主はわたしの祈りを受けられる』

とダビデ王は歌っていますが、この詩篇の言葉のように、

神は涙を流すほどの真剣な祈りに応えられる神です。

ですからわたしたちも、涙を流すほど真剣に祈っていきたい

ものです。

 

 イザヤ書38章には『南ユダ王国』のヒゼキヤ王の記事が

ありますが、この王も『涙の祈り』を神にささげ、その祈り

を聞かれた人です。ヒゼキヤ王が重い病気になったとき預言

者イザヤが王に死を宣告したのです。それを聞いたヒゼキヤ

は『顔を壁に向けて主に祈った』のです。これはまさしく

涙の祈りでした。これは王が自分の死を恐れたのではなく、

王にはまだ後継者が定まっていなかったので、いま自分が死

んだら後継者争いで国内が混乱することを恐れたからです。

 

 このヒゼキヤ王の涙の祈りが神に届き、預言者イザヤがま

だ王宮を出ない間に神はその御心を変えられたのです。これ

は神がヒゼキヤ王の真剣な涙の祈りを聞かれたからです。

 

                       (May,9,2010)