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2010.5.16
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イエスの兄弟たち

『彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、および

イエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈を

していた。』。         (使徒行伝114)

 

 オリブ山でイエスの昇天を見送った弟子たちはエルサレム

に帰って祈り会をしたのです。それはイエスが昇天される前

に 『エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いて

いた父の約束を待っているがよい』(14)との言葉に従

ったからです。そしてこの『父からの約束』とは、ヨハネ福

音書1416節にあるイエスの言葉で、イエスが十字架にお

かかりになる前に弟子たちに語られた言葉です。つまり『わ

たしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を

送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろ

う。それは真理の御霊である。・・・それはあなたがたと共に

おり、またあなたがたのうちにいるからである』とあります。

 

 つまりイエスは昇天して弟子たちと共にいることができな

くなるが、その代わりに御霊が天から下されて、キリストの

ご再臨の日まで共にいてくださるという約束だったのです。

これが『助け主』なる御霊です。ですから今は『聖霊時代』

とも言います。

 

 そしてエルサレムのある家で120名の者たちが祈っていた

とき、つまり10日目の『五旬節』の日に彼らの上に聖霊が

くだったのです。これが『ペンテコステ』(聖霊降臨)です。

そして弟子たちは復活の信仰と力が与えられて、主イエスの

復活を宣伝しはじめました。ところが、イエスが雲に迎えら

れて天に昇天されたとき、それを見送ったのは五百名ほど

だったと言われています、そしてペンテコステの日に御霊に

満たされたのは、15節によると120名だったとあります。

 

 では、あとの380名はどうなったのでしょうか。これにつ

いて一つの推察がなされます。確かに彼らもイエスが天にお

帰りになるのを見送りました。そして彼らも感激してオリブ

山を下りましたが、彼らはイエスの『エルサレムから離れな

いでかねてわたしから聞いていた約束を待っているがよい』

という言葉を無視して、復活の主の証しをはじめたのです。

それは御霊の力による伝道というよりも、感動による感情的

な伝道でしたから、いろんな困難や迫害に会うときに彼らの

信仰は挫けて挫折をしてしまったのです。そして、彼らの

活動は使徒行伝のどこにも記録されていません。

 

 次に、イエスのお言葉に従ってエルサレムの二階座敷で

祈り会に加わったひとたちのことが次のようにあります。

『彼らは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った。

この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離の

ところにある。彼らは、市内に行って、その泊まっていた

屋上の間にあがった。その人たちは、ペテロ、ヨハネ、ヤ

コブ、アンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、

アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダと

であった』とあります。これはみなイエスの十二弟子の人

たちの名前です。

 

 ところが、その次に『彼らはみな、婦人たち、特にイエ

スの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わ

せて、ひたすら祈をしていた』とあります。そしてここで

注意をしたいのは、この祈り会の中に『イエスの兄弟たち』

とあることです。イエスはマリヤが処女降誕によって誕生

したので、イエスの兄弟というのは正確ではありません。

彼らはイエスの誕生後にヨセフとマリヤが結婚して与えら

れた子供たちのことを言っているのです。

 

 そして、その兄弟たちの名前までマタイ福音書1355

節にあります。『そして郷里(ナザレ)に行き、会堂で人々

を教えられたところ、彼らは驚いて言った、「この人は、

この知恵とこれらの力あるわざとを、どこで習ってきた

のか。この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、

兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。

またその姉妹たちもみな、わたしたちと一緒に(この町に)

いるではないか」』とあります。

 

 そして兄弟たちは、はじめのうちはイエスの立場を理解

できなかったようです。それは1246節をみると、イエ

スを家に連れ戻そうとしてきた記事があります。これはイ

エスのことが充分に理解されていなかったからです。一説

によると、この頃、父のヨセフが他界したので、長男のイ

エスに家の家業を継いで、母マリヤの生業を助けてもらい

たかったためと推測されます。

 

 このように、イエスの立場を理解しなかったイエスの兄

弟たちがエルサレムの待ち望みの祈り会に同席していたと

は驚きです。おそらく彼らはイエスの働きを見て、そして

最後の十字架の死と墓から復活された事実を見て、彼らに

感動が与えられたに違いありません。使徒行伝16章に

『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの

家族も救われます』とあります。ですからわたしたちも信

仰をもってゆくときに、あなたがたのクリスチャンとして

の恵まれた生きざまを見て家族が救われるのです。

 

 イエスの直ぐ下の兄弟ヤコブは、その後『エルサレム教

会』の初代監督として選ばれ、エルサレム教会を指導して

いるのを聖書の中に見ることができます。ガラテヤ書1

18節に『その後、三年たってから、わたしはケバ(ペテロ)

をたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在し

た。しかし、主の兄弟ヤコブ以外には、ほかのどの使徒に

も会わなかった』とありますが、このヤコブがイエスの兄

弟ヤコブのことで、先に書いたようにエルサレム教会の初

代監督でした。そして多くのひとたちの信頼を受けていた

のです。

 

 そしてヤコブが初代教会のためになした功績の一つは、

『エルサレム会議』を開催して、パウロの異邦人伝道で起

こった問題を解決したことでした。それは異邦人の割礼問

題でした。

 

 使徒行伝151節に『さて、ある人たちがユダヤから

下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例に

したがって割礼を受けなければ救われない」と、説いてい

た。そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に少なからず

紛糾と争論とが生じたので、パウロ、バルナバ、そのほか

数人の者がエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと、

この問題について協議することになった』とあります。

 

 この会議で『パリサイ派から(エルサレム教会に)信仰

にはいってきた人たちが立って、「異邦人にも割礼を施し、

またモーセの律法を守らせるべきである」と主張した』

のです。つまりユダヤ主義的キリスト教徒が、異邦人の

改宗者にも割礼を受けさせるべきだと主張したのです。

 

この問題を解決するためにエルサレムで開かれたのが

『エルサレム会議』でした。そして初代監督であるヤコ

ブは、(結論をいそぎますが)「異邦人改宗者には割礼は

必要ない」と結論をしたのです。このヤコブが下した結

論こそ『人の義とされるのは律法の行いによるのではな

く、ただキリスト・イエスを信じる信仰による』であり

ました。(ガラテヤ書216) そしてこれがイエスの

語られた福音でした。

 

 さて、このイエスの兄弟ヤコブはたいへん敬虔な人で、

いつも神の前でよく祈る人だったそうです。ですから

「彼の膝はラクダの瘤のようになっていた」と語り伝え

られています。また最後はエルサレムの高い塔から突き

落とされて殉教をしましたが、彼は息を引き取とるまで、

「父よ、彼らを赦してください。彼らはなにをしている

のかわからないからです」と、イエスが十字架の上で

最後に祈られたのと同じ祈りをしていたと伝えられてい

ます。

 

 このようにイエスのことを理解できなかった兄弟たちも、

最後はイエスの生きざまを見て、みな変えられペンテコス

テの待ち望みの祈り会に連なっていたのです。

『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたも

あなたの家族も救われます』  使徒行伝1633

 

                         (May,16,2010)