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2011.5.29
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イエスの昇天の意義

 

『キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右
に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである』。
               (ローマ人への手紙8章34節)

              

 

 墓から復活をしたイエスは40日の間に幾たびも弟子たちの前
に現れ、復活されたご自身をお示しになりました。これは弟子
たちが復活の信仰を得るためでした。それから40日目に多くの
弟子たちの見守るなかを、雲に迎えられて天に昇っていかれた
のです。これがイエスの『昇天』です。

 

 イエスはかつて弟子たちに『わたしは世の終りまで、いつも
あなたがたと共にいるのである』(マタイ福音書2820節)と
言われましたが、そのイエスが弟子たちをおいて天に昇られたの
ですから、この約束はいったいどうなったのでしょうか。イエス
は決して嘘を言われたのではなく、その代わりに聖霊が降された
のです。これが『ペンテコステ』(聖霊降臨)です。

 

 ヨハネ福音書1416節に『わたしは父にお願いしよう。そう
すれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共に
おらせて下さるであろう。それは真理の御霊である』とあります。
聖霊降臨はイエスの代わりに神から降された御霊です。そして、
『いつもあなたがたと共にいる』とあるように、いまもわたした
ちと共にあってわたしたちの信仰を助けてくださっているのです。
それで今は『聖霊時代』といいます。

 

 さて、天にご昇天をされたイエスは、いまどこで何をしておら
れるのでしょうか。それが前掲のローマ8章の御言葉です。『神
の右に座して、わたしたちのためにとりなして下さるのである』
とあります。『神の右に』とは、「神のいと近くで」という意味
で、そこでわたしたちのために執り成してくださるのです。わた
したちは祈りの最後に『イエス・キリストの御名によって お祈
りします』と祈りを終えますが、これは決して祈りの締めくくり
の言葉ではなく、これが大事なのです。つまりイエスの名によっ
て祈るとき、神の右におられるイエスがわたしたちの祈りを神に
執り成してくださるからです。

 

 わたしたちの祈りが舌足らずな祈りであっても、イエスがそれ
を執り成してくださるから神に通じるのです。ある幼児が海外に
いるお父さんに手紙を書きました。まだ字も書けませんのに葉書
に大きく三角と四角と長い棒のようなものを書いたのです。とこ
ろがお父さんはその意味が分かり、その幼児の欲しがっていた物
を送ってきたのです。どうして三角、四角、棒のような判じ物の
ような画を理解することができたのでしょうか。それはお母さん
が「この画はこれこれのことです」と執り成したからです。その
ように、わたしたちの舌足らずのような祈りでも、イエスが執り
成してくださるから、みんな神に聞かれるのです。

 

 次に、ヨハネ福音書1414節に『何事でもわたしの名によっ
て願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう』とありますが、
『わたしの名』、つまりイエスの名によって願う(祈る)なら、
どんな事でも聞いてくださるのですから、それを信じて大胆に祈
ってください。『何事でも』とあります。神はオールマイティの
神ですから「あれはできるが、これはできない」というようなこ
とはありません。また『人にできないことも、神にはできないこ
とはない』とあります。ですから、どんな事でもイエスの名によ
って祈ってください。

 

 こんな話があります。ある青年がお婆さんの家を尋ねました。
そしてお婆さんに「ぼちぼち天国に行く用意をしなければ」と言
いましたら、お婆さんが「天国と極楽とどちらがいい」と聞きま
すので、青年は「天国は神様のおられるところで、とてもいいと
ころだ」と答えました。するとお婆さんが「どうしたら天国に入
れてもらえるのか」と聞きましたので、青年は「イエス様を信じ
て洗礼をうけたらいい」と答えました。すると「ではわたしに洗
礼を授けてもらいたい」と言いましたので、早速教会に連絡があ
りました。

 

 そこで教会からお婆さんの家に行って洗礼のお導きをしていよ
いよ洗礼式の日になりました。お婆さんは朝から風呂に入って身
を潔め、晴れ着をきて教会から来るのを玄関に座って待っていま
した。すると家の前を通った近所の人がお婆さんを見て、「どう
したの、いい着物を着て」と言いましたので、お婆さんは「はい、
はい、イエス様の花嫁にしていただきます」と答えましたので、
近所の人は頭を振りながら行ってしまいました。

 

 洗礼式が終わったお婆さんは「これで天国に行かせてもらえる」
と言って喜んでいましたが、数日後にその青年がお婆さんを訪問
したところ、「わたしは死ぬときには誰からも下の世話をしても
らいたくない」と言いましたので、「それなら、そのとおりにお
祈りをしたらいい。何事でも、わたしの名によって願うなら、そ
のとおりになる、とあるから」と言うと、それから毎日、食事の
ときに「どうぞ、わたしの最期のときには誰からも下の世話をし
てもらうことがありませんように」と、それだけを祈ったのです。
それから暫くしてお婆さんは召されましたが、その最後は祈りの
通りに誰からも下の世話をされることなく召されたのです。お婆
さんの祈りの通りになったのです。それはイエスが執り成してく
ださったからです。

                            (May,29,2011)