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2010.5.30
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初代教会の最初の奇跡

 

『ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしに

あるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって

歩きなさい」。こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、

くるぶしとが、立ちどころに強くなって、踊りあがって立ち、

歩き出した。そして歩き回ったり踊ったりして神をさんびしな

がら、彼らと共に宮にはいって行った』。 

 (使徒行伝36節〜8)

 

 この三章はエルサレムの初代教会で最初の奇蹟が起こった

ところである、と言われているところです。243節に

『みんなのものにおそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、

使徒たちによって、次々に行われた』とあります。

これはイエスの弟子たちがペンテコステの日に御霊に満たされ

た結果だったのです。

 

 ここで奇跡的に生かされたのは、エルサレムの美しの門で宮詣で

をする善男善女に施しを受けていた40歳の足の不自由な男でした。

そして、そこを通り掛かったペテロの施しを求めたところが、

『金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。

ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい』と言って、

手を取って起こしてやると、奇跡が起こって、『足と、くるぶし

とが、たちどころに強くなって、歩きだした』のです。

 

 なぜ、こんな奇跡が起こったのでしょうか。それはペテロたち

が御霊の力に満たされていたからです。そして、もうひとつは、

『ナザレ人イエス・キリストの名』によって命じたからです。

ヨハネ福音書1414節に『何事でもわたしの名によって願う

ならば、わたしはそれをかなえてあげよう』とイエスが言われた

ように、ペテロたちは『イエス・キリストの名』によって祈った

からです。そしてわたしたちも、『イエス・キリストの名』によっ

て祈り願うなら、神は驚くべき奇跡の業を行ってくださいます。

 

「今日はイエスの時代のような奇跡は起こらない」と言った人が

ありましたが、それは正しくありません。「奇跡が起こるほどの

信仰がないから」です。いまでも信仰があるところには、神は

奇跡を行ってくださいます。

 

使徒行伝148節に、パウロが第一回伝道旅行のときに

「ルステラ」で、やはり足の不自由な人を癒された奇跡が

記されています。このとき、この人は『パウロの説教を

聞いていた』とありますが、パウロの説教を聞いて恵まれ

ていたのです。そこでパウロは『いやされるほどの信仰が

彼にあるのを認め』、大声で『自分の足で、まっすぐに

立ちなさい』と言うと、彼は踊りあがって歩き出しました。

この奇跡が起こったのは、『いやされるほどの信仰がある

のをみて』とありますように、彼に信仰があったから

奇跡が起こったのです。

 

 また、マタイ福音書920節では、12年間の長い間

「病気」を患っていた一人の女性が癒された記事があり

ます。彼女は最後のいち累の望みをかけてイエスの元に

近づきました。ところがイエスの回りには大勢の群衆が

取り囲んでいたので近づくことができませんでした。ま

た皆の前で「わたしのこれこれの病気を癒してください」

とは恥ずかしくて言えませんでした。

 

 そこで、『み衣にさわりさえすれば、なおしていただけ

るだろう』と心の中で思い、イエスの後ろから近づき、

その衣の裾をさわったら、イエスの身体から力が出ていく

のを感じ、後ろを振り向くとそこに女性がいましたので、

イエスは『娘よ、あなたの信仰があなたを救った』と言わ

れました。そして、その女性の病気は癒されたのです。こ

のときも、奇跡を起こしたのは『み衣にさわりさえすれば、

なおしていただける』という信仰が女性にあったからです。

今も神の力は信仰のあるところに働きます。

 

 子供の頃から教会に来ていた娘さんが、大学を卒業して

教員として長野県でも最南の村の小学校に遣わされていき

ました。ところが、ある日の授業中に教壇の上で倒れてし

まいました。名古屋市の名大病院の脳神経科で『脳腫』の

手術を受けましたが、医師からは「もういちど手術をしな

ければならないが、下手をするとこれが最後になる危険が

あるから、会わす人があれば今のうちに会わしておくよう

に」という言葉でした。

 

 そこでわたしも名古屋の病院に駆けつけましたが、頭は

包帯で巻かれ、本人は苦しくて着物をはぎ取ろうともがき、

若い娘さんのあられもない姿を見て心を痛めました。それ

でもわたしが来たことがわかり喜んでくれました。そして

「先生、ありがとうございます」と言おうとするのですが、

言語障害のため、その『せ』という言葉さえなかなか出て

こないのです。その苦しそうな様子を見て、「あなたの

言いたいことはわかった、もう何も言わなくてもいい」と

止めて、頭に手を置くことはできませんので、その娘さん

の手を握って祈りました。

 

 祈り終わって、いつも大学の聖書研究会でテーマソング

のようにして歌っていた、賛美歌の312番『いつくしみ深き、

ともなるイエスは・・・』を彼女の最後の餞(はなむけ)

つもりで歌いました。すると驚くようなことが起こりまし

た。なんと彼女も一緒に歌いだしたのです。しかも最後ま

で歌ったのです。言語障害のために『せ』という言葉も

でない人がちゃんとうたったのです。付き添っていた両親

は「延子が歌った」と言って大騒ぎになりました。

そのときに奇跡が彼女の上に起こったのです。

 

 このときからどんどんと回復し、医師から「もう一度

手術をしなければ」と言われていましたが、手術をする

ことなく退院をしたのです。しかし、汽車から降りて

長野駅頭に立った彼女の姿は、それでなくとも細く弱々

しく、そのうえ左半身は麻痺して不随で足を引きずって

歩く姿は直視することができませんでした。それでも、

二度目の手術をすることなく退院することができたのを、

「神様のおかげ」だと喜んでいました。

 

 日曜日になると足を引きずって人の二倍も三倍も時間

をかけて、熱心に教会に出席をしておりました。そして

ある日、「明日から東大病院に診察を受けに行ってきます」

と言って帰りましたが、一週間後、「東大病院では、あな

たは奇跡の人だと言われた」という報告をしてくれました。

そして「命があっただけでも感謝しなさい。しかし、これ

以上はよくならないから、このまま生きることを考えなさ

い」と言われたそうです。

 

 わたしは「医師がなんと言っても神様は全能者だから、

ここまであなたをよくしてくださった神様は、これ以上

よくしてくださらないはずはありません。これからも信仰

をもって祈っていきましょう」と励ましました。

 

 その次の礼拝後に彼女は「これからリハビリ(機能回復

訓練)をはじめます」と言って帰りましたが、その次の

日曜日には「先生、腕がここまで上がるようになりました」

と言って、腕を少し上げて見せてくれました。

彼女は元来、頑張り屋ですからそうとう訓練をしたに違い

ありません。そして、次の日曜日には「先生見てください」

と言って、肘を先週よりも高くあげることができたのです。

 

 このようにして少し時間はかかりましたが、機能はすっかり

回復して日常生活に支障なく生活をすることができるように

なりました。これは神がなさった奇跡と神を崇めております。

そしてまた、わたしにとっても、ただ聖書の上だけの信仰

ではなく、実体験として「奇跡を信ずる信仰」が与えられた

出来事となりました。

 

 その後、東京に出て職業訓練学校で特殊技能を身につける

訓練を受けていました。彼女は和文タイプを習い、ときどき

和文タイプの手紙を送ってきました。(この時代はまだワープロ

もコンピューターもない時代でした)。そしてあるとき、手紙が

来て「こんど同じ訓練学校の人と結婚することになりました」

と言ってきました。それからしばらくして受け取った手紙には

「子供ができました」と書いていました。神は死を宣告された

人を奇跡的に癒されただけでなく、ここまで回復されたのです。

わたしの生涯の信仰の土台となる出来事でした。  

                       (May,30,2010)