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2011.6.5
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  イエスの兄弟たちの変化



『彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエス
の兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた』。
                     (使徒行伝1章14節)

 

 

 このところはイエスの弟子たちによるペンテコステの待ち望みの
祈り会のところです。イエスを天に見送った弟子たちはエルサレム
に集まって約束の待ち望みの祈り会をしていました。それはイエス
がご昇天になる前に、『彼らにお命じになった、「エルサレムから
離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているが
よい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがた
は間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」』
(4節)という言葉に従ったからです。そして彼らがひたすら祈っ
ていたときに、10日目に聖霊がくだったのです。これが聖霊降臨
(ペンテコステ)です。このときに集まっていた者は百二十名だっ
たとあります。

 

 ところが、この中に『イエスの兄弟たち』の名前がありますが、
いったいどういうことなのでしょうか。彼らはイエスが伝道生涯に
入られたとき、その働きを理解することができなくてイエスを家に
連れ戻しに来たとあります。(マタイ福音書1246節)。その弟
たちがペンテコステの待ち望みの祈りの輪の中に加わっていたとは
驚きです。

 

 イエスは聖霊によって懐妊をして処女降誕をした人ですが、その
後に許嫁のヨセフとマリヤが結婚して次々と子どもが与えられてい
ます。その名前がマタイ福音書13章に記しています。『この人は大
工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセ
フ、シモン、ユダではないか。またその姉妹たちもみな、わたした
ちと一緒にいるではないか…』(54節)とあります。これはイエス
が自分の郷里であるナザレで伝道なさったときのことです。彼らは
イエスの智恵のある教えに驚嘆しましたが、イエスが同郷の人でし
たから素直に信じ受け入れることが出来なかったのです。

 

 この兄弟たちも、はじめはイエスの働きに対して無理解でしたが、
イエスの最後の十字架、そして復活という事実をとおして信じて受
け入れたのです。そしてペンテコステの待ち望み会の百二十名の中
に加えられていたのです。使徒行伝16章に『主イエスを信じなさい。
そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます』とありますが、
もしあなたがたの家族のなかに、あなたの信仰に対して無理解なひ
とがあっても、神を信じていくなら必ず家族の人たちもあなたがた
の信仰を認めてくださるときがくるのです。

 

 ある女性の方が看護師学校を卒業して看護師となって働き、その
仕送りで家族を養っていました。ところが、神に導かれて教会に献
身をしてしまったのです。それを知った弟が「あなたの仕送りで一
家を支えなければならないのに、自分勝手なことをして」と、きつ
い手紙が届いたのです。でも彼女は自分の節を曲げないで神のため
に仕える道を選びました。しかし、そのことがその家族を信仰に導
かれることになり、大勢のクリスチャンが誕生したのです。「あの
ときは、わたしはきつい手紙を書いたものです」と、弟さんが後に
述懐していました。そうです、その女性が献身をしたときは誰から
も理解されませんでした。むしろ猛烈に反対されましたが、後にそ
の家族が救われたのです。

 

 さて、イエスの兄弟たちが他の弟子たちと一緒に10日目に聖霊
に満たされましたが、これは兄弟たちにとっては大きな恵みとな
りました。その中でもイエスのすぐ下の弟ヤコブは初代教会の初
代の監督としてエルサレム教会を指導しています。彼の功績は使
徒行伝につまびらかに記されていますが、特筆することは、彼が
『エルサレム会議』を開いてパウロの異邦人(外国人)伝道に対
して道を開いたことです。これだけ言うと、ヤコブは「イエスの
弟だから」といった人間臭さを感じる方があるかもしれませんが、
ヤコブは決してそんな人ではなく、実に敬虔な人、祈りの人だった
といわれています。彼は「常に跪いて祈っていたので、彼の衣の膝
のあたりが擦り切れて破れていた」と言い伝えられています。

 

 また、彼の最後はイエスの教えに反対する人たちによって迫害さ
れ、塔の上から突き落とされて殉教をしましたが、まだ息がありま
したので耳を近づけてみたら、「父よ、彼らを赦してください。彼
らはなにをしているのかわからないからです」と、自分を迫害する
人たちのために赦しを祈っていたのです。この祈りは、イエスが十
字架の上で祈られたのと同じ祈りでした。そのような敬虔な人でし
た。また、彼の功績として残され、今日でもよく読まれている聖書
の箇所は『ヤコブの手紙』ですが、これも彼が書き残した書簡だと
いわれています。

 

 このようにして、はじめはイエスに対して無理解な兄弟たちでし
たが、その生涯、特に十字架と復活をとおして彼らは変えられたの
です。ですから、わたしたちも自分の信仰の生きかたに対して理解
されなくても、また迫害されても、ひたすら主を信じて従ってゆく
なら、その最後には必ず理解される日がくるのです。

『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救
われます』という御言葉を信じていきましょう。

                      (Jun,05,2011