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2010.6.6
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初代教会の迫害事件

 

『「主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って

大胆に御言葉を語らせて下さい。そしてみ手を伸ばしていやしを

なし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて

下さい」。彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、

一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語りだした』。

                    (使徒行伝431)     

 

 使徒行伝4章はエルサレムの初代教会で起こった最初の迫害事件が

記されたところです。リバイバルが起こったときには必ずと言って

いいほどサタンの働きがあります。それだけサタンも必死なのです。

 

 さて、イエスの弟子たちはペンテコステの日に聖霊に満たされた

結果、大胆になってイエスの復活を証言しはじめたので、それを

快しとしないユダヤ教の指導者たちが迫害をしたのです。なぜなら、

イエスの復活はイエスがメシヤ(救世主)であることの証明であり、

そうなれば自分たちは救世主(救い主)を十字架にかけて殺したこと

になるからです。そこで墓守たちに金を渡して、「イエスの亡骸は

弟子たちが持ち去った」と言わせたほどでした。

 

 『死人の復活を宣伝しているのに気をいら立て、ペテロたち

に手をかけて捕らえ、翌朝まで留置して置いた』のです。そして

明くる日、役人、長老、律法学者たちが召集され、「なんの権威、

また、だれの名によって、このことをしたのか」。と問いただされ

ましたが、そのときペテロが聖霊に満たされて答えています。

 

 『あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知って

いてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っている

のは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が

死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名に

よるのである。・・・この人による以外に救いはない。わたしたち

を救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられて

いないからである』と大胆に語ったのです。

 

 そしてペテロの大胆な話しぶりを聞き、またいやされた者が

そばに立っているのを見て、まったく返す言葉がなかったので

す。そして議会から退場させるときに、「今後、イエスの名に

よって語ることも説くことも、いっさい相成らぬと厳命しま

したが、その脅しの効果もなく、ペテロとヨハネは『神に聞

き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しい

かどうか、判断してもらいたい』と大胆に語ったのです。

何故このように大胆に語ることができたのか、それは言うま

でもなく御霊に満たされていたからです。御霊に満たされた

ら、神のほかなにものをも恐れなくなります。まだ人を恐れ

たり、人の目を気にしたり、噂をされることを恐れるのは

御霊の力に満たされていないからです。

 

 そして仲間のところに帰ったペテロたちは、事の次第を

報告したのち祈っています。『「主よ、いま、彼らの脅迫に目

をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせてくだ
さい。そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエス

の名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい」。彼らが

祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は

聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした』。これが

『第二のペンテコステ』だと言われるところです。わたした

ちも御霊の力に満たされたなら、何者も恐れることなく、

大胆に主を証しすることができるのです。ですから

クリスチャンとして恵まれた生涯を送るために、最も大切な

ことは御霊の力に満たされることです。

 

 ダニエル書3章には、王の脅迫にも屈しないで自分たちの

信仰を守り通した、ヘブル(イスラエル)の三青年の話があります。

『シャデラク、メシャク、アベデネゴは王に答えて言った、

「ネブカデネザルよ、この事についてお答えする必要はありま

せん。もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、

その火の燃える炉からわたしたちを救い出すことができます。

また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。

たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちは

あなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みませ

ん」』。(316)

 

 これはイスラエルの国がバビロン帝国に滅ぼされ、ネブカデ

ネザル王はイスラエルの有能な人々をバビロンの地に連行した

のです。これを『バビロン捕囚』といいます。そして王は捕囚

の民の中から優秀な青年たちを選んでエリート教育を施し、

将来バビロンの王に仕える役人にしようと考えたのです。そ

して選ばれたのがダニエルとこの三人の青年でした。

 

 ところが、あるとき王はとてつもない大きな金の像を造り

ました。その高さが60キュピト(つまり27メートル)、幅は

6キュピト(2.7メートル)という巨大なものでした。そして

ある日、王の命令によって全国民にこれを拝ませようとした

のです。それはこれで王の威信を高めるためと、国家統一を

図るためでした。

 

 ところが、その日イスラエルの三青年は拝みませんでした

ので、王の怒りに触れたのです。彼らは自分たちの教えられ

ていた信仰の立場、つまり十戒の『刻んだ像を造ってはなら

ない。またそれを拝んではならない』という『偶像礼拝禁止』

の教えに従ったのです。自分の命令に従わないことを知った

ネブカデネザル王は、「国民に示しがつかない」と怒り、

「火の炉に投げ込む」と脅迫しましたが、そのときに彼らが

答えたのが、この言葉でした。

 

 『もし、そんなことになれば、わたしたちの仕えている神

は、その火の燃える炉からわたしたちを救い出されます。

たといそうでなくても、王よご承知ください。わたしたちは

あなたの神々に仕えず、あなたの建てた金の像を拝みません』

と断固として拒否したのは、彼らが御霊の力に満たされてい

たからです。わたしたちも御霊に満たされていたら、この世

の何者も恐れずに大胆に自分の信仰を告白してゆくことが

できるのです。

 

 そして怒り心頭に達した王は、いつもよりも七倍も熱い炉

の中に彼らを投げ込みましたが、神は天の使をその炉の中に

送り守られたのです。そして炉から出されたときには『火は

彼らの身にはなんの力もなく、その頭の毛は焼けず、その

外套もそこなわれず、火のにおいもこれに付かなかった』の

です。それをみた王は驚き、『シャデラク、メシャク、アベデ

ネゴの神はほむべきかな、神はその使者をつかわして、自分

に寄り頼むしもべらを救った。また彼らは自分の神以外の神

に仕え、拝むよりも、むしろ王の命令を無視し、自分の身を

も捨てようとしたのだ』と、イスラエルの神と彼らの信仰を

認めたのです。

 

 日本にも殉教者の記録があります。それは『長崎の26

の殉教者』です。1596年に豊臣秀吉が『キリシタン宣教師

追放令』を発布しましたが、これが日本でのキリスト教迫害

の発端でした。そして京都在住のキリシタン25名を捕縛して

長崎で十字架にかけました。これはキリシタンに対する

見せしめとするためでした。

 

 捕縛されたキリシタンは鼻と両耳を削ぎ落とされ、三台

の牛車に乗せて京都の町、大阪、堺と引回されましたが、

彼らの毅然とした態度がかえってキリシタンの人々に励まし

となりました。そして一月の極寒の季節に長崎まで山陽道を

連行されましたが、途中から殉教者志願者が詰めかけ、

長崎に着いたときにはいつの間にもぐり込んだのか26名に

なっていました。

 

 そこで長崎奉行は一名を許すことができるので、一行の

中でもいちばんの年少者、洗礼名がルドビコという12歳の

日本人の少年を奉行が呼び出し、「もしわたしに仕えるなら

ば、お前の命を助けてやる。ただし、キリシタンの信仰を

捨てるなら・・・」と言われました。そのとき、その少年が

答えた言葉は、『それほどまでして命を助かろうとは思いま

せん。たちまち滅びる短い肉体の命と永遠の命とを取り替え

られるわけがありません』と、キッパリと断ったのです。

12歳といえば、まだまだ長い人生が残されているのに・・。

これは実に驚くべき話ではありませんか。

                      (Jun,06,2010)