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2010.6.13
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神に目をつける信仰

 

『「 主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切っ

 て大胆に御言葉を語らせて下さい。そしてみ手を伸ばしていや

 しをなし、聖なる僕イエスの名によってしるしと奇跡とを行わ

 せて下さい 」。彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が

 揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出し

 た』。 (使徒行伝429節〜31節)

 

 使徒行伝4章はエルサレムの初代教会で起こった最初の迫害

事件が記されたところです。リバイバルが起こったときには必

ずといっていいほどサタンの働きがあります。それだけサタン

も必死なのです。

 

 さて、イエスの弟子たちはペンテコステの日に聖霊に満たさ

れた結果、ユダヤ教の指導者たちから脅迫されましたが、弟子

たちが大胆にイエスの復活を証言することができたのは、御霊

の力に満たされたからです。また、今日のテーマである「神に

目をつけて祈った」からです。今日でもこれが勝利の秘訣です。
ですからわたしたちもどんなときにも神に目を付けて祈りたい

ものです。

 

 ペテロが水の上を歩いてイエスのところに近づいたという記

事がありますが、これもペテロがイエスに目を付けたからです。

ところがイエスの側に来たときに、ほっとしたのか自分の周囲

を見たとき、荒れ狂う波風を見て恐ろしくなり水にのまれそう

になりました。それはイエスから目を離したからです。どんな

ときにも神に目を付け、それから決して目を離さないことです。

 

 あるとき、車の中でラジオを聞きました。その人はサーカス

の綱渡りの達人で、綱渡りをするときの秘訣を話していました。

それは綱を渡るときには前方のロープを繋いでいるポールの一

点から決して目を離さないということです。そしてロープが揺

れても、その一点から目を離さないで揺れがおさまるまで耐え

るのだそうです。それを恐ろしくなり下を向くと真っ逆さまに

落下してしまうと話していました。その話しを聞きながら、わ

たしたちの信仰と似ているなぁと感じました。とにかく『神に

目を付けて、決して目を離さないこと』です。

 

 詩篇3篇3節に『しかし主よ、あなたはわたしを囲む盾、

わが栄え、わたしの頭を、もたげてくださるかたです』とあ

ります。これはダビデ王が息子アブサロムにクーデターを起

こされて、ヨルダン川の東まで逃亡したときの詩篇です。ア

ブサロムが反乱事件を起こしたとき、今までダビデ王の側近

にあった部下たちまでもが、『彼には神の助けがない』

(神に見放された)と言ってダビデ王を捨て、アブサロム側

に付いたのです。ですからダビデ王はまさしく『四面楚歌』

といった状態でした。

 

 しかし、このような状況の中に置かれたときでもダビデに

平安を与えたのは、『しかし主よ』 と、神に目を付ける信仰

でした。ですから彼は4節に『わたしが声をあげて主に呼ば

わると、主は聖なる山からわたしに答えられる』と神に対す

る絶対的信頼をもつことができたのです。また5節には『わ

たしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえら

れるからだ。わたしを囲んで立ち構える、ちよろずの民をも

わたしは恐れない』と、平安の中にあったことを歌っていま

す。それはダビデ王が『しかし主よ』と神に目をつけたから

です。

 

 わたしたちも何か問題が起こったとき、「 祈ってもいつ答

えてくださるかわからない神様よりも、身近な人に相談した

ほうが早道だ」と思って頼ったりします。それも期待はずれ

で、最後には『やっぱり神様だ』と教会にやって来ますが、

なぜ最初から神さまのところに来ないのでしょうか。詩篇

46篇1節に『神はわれらの避け所また力である。悩める時

のいと近き助けである』とあります。ここに『いと近き助け』

とあるではありませんか。この神に近づくことがいちばんの

近道なのです。だのに人々はこの方に直接こないで遠回りを

し、苦労をしているのです。

 

 歴代誌下20章には、国難に際したとき神に目を付けて国

を救ったヨシャパテという王の信仰が書いてあります。彼は

『南ユダ王国』の四代目の王でした。ところがあるとき、モ

アブ、アンモン、メウニの連合軍が攻めてきました。そのと

きにヨシャパテ王は、『 そこでヨシャパテは恐れ、主に顔を

向けて助けを求め、ユダ全国に断食をふれさせた。それでユ

ダはこぞって集まり、主の助けを求めた』とあります。

 

 つまり連合軍の侵攻を知ったとき、王は神に目を付けて

祈ったのです。17章をみると『南ユダ王国』には百十六万

の軍隊がいたとあります。しかし王はそれに目を付けずに

神に信頼をしたのです。そして王の祈りの言葉が5節以下

にあります。その結びの言葉は『われわれにはこのように

攻めてくる大軍に当る力がなく、またいかになすべきかを

知りません。ただ、あなたを仰ぎ望むのみです』と祈って

います。そして神は伏兵をもうけてイスラエルを救われま

した。イザヤ4522節に『地の果てなるもろもろの人よ、

わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神で

あって、他に神はないからだ』とあります。わたしたちの

神は唯一絶対の神です。この神に目をつけていきましょう。

                       (Jun,13,2010)