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2010.6.20
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神を欺くことはできない

 

『「どうして、こんなことをする気になったのか、

あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたの

だ」。アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、

倒れて息が絶えた。このことを伝え聞いた人々は、

みな非常なおそれを感じた。それから、若者たちが

立って、その死体を包み、運び出して葬った』。                   

(使徒行伝54節〜6節)

 

 これはアナニヤとサッピラという夫婦が神を欺いて

命を落としたところです。そしてこの事件はペンテコ

ステの日に御霊に満たされて恵まれていた初代教会の

人々に水を差すような悲しい出来事となりました。

ペンテコステの日に御霊に満たされた結果、信徒たち

は自分たちの持ち物を持ってきて差し出して共同生活

をはじめました。彼らの中には比較的に裕福な人も、

また貧しい人もいましたが、御霊に満たされた結果、

みんな愛の人に変えられましたので「損得がなく

なり」、心よくできたのです。

 

 そして4章の36節に『クプロ生まれのレビ人で、

使徒たちにバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ば

れていたヨセフは、自分の所有する畑を売り、その

代金を持ってきて、使徒たちの足もとに置いた』

とあります。このバルナバは11章でアンテオケ伝道

で尊く用いられた人で、彼の感化でアンテオケ教会の

人々は大変恵まれた信徒となり、このアンテオケの町

の人々から『クリスチャン』とはじめて呼ばれたほど、

大きな働きをした人です。(それは少し後のことで)、

このバルナバの寄付行為が初代教会の人々の称賛を

得たのです。それを見たアナニヤとサッピラは、自分

たちの資産を売って使徒たちのところに持ってきて

寄付をしました。

 

 これだけのことなら彼らは神に打たれて死ぬほどの

ことではありませんでしたが、彼らはその資産の一部

を差し出して、いかにも資産の全部を献げたかのよう

に偽ったのです。それは彼らが他の信徒たちから

「あの人は素晴らしい」と言われたいという下心が

あったからです。つまり『虚栄心』があったからです。

ガラテヤ526節に『虚栄に生きてはならない』と

ありますが、この虚栄心が人の心を堕落させてしまう

のです。そしてクリスチャンがいちばん気をつけなけ

ればならないことです。

 

 マタイ福音書4章にイエスが公生涯(伝道生涯)に

入られる前に、荒野で4040夜断食をされた記事が

あります。その後にサタンが来てイエスを誘惑してい

ます。このときにサタンは三つの誘惑をしましたが、

その三つ目に、『もしわたしにひれ伏してわたしを拝む

ならば、これらのものを皆あなたにあげよう』という

誘惑でした。これは人間の虚栄心に対する誘惑です。

つまりサタンに仕えるなら、この世の栄誉栄華はみな

手に入るというのですから。でもイエスはそのような

虚栄心に打ち勝たれたのです。

 

 よく「人間の誘惑は『金と女(異性)と名誉心』だ

といわれますが、この『名誉心』も虚栄心からくる

ものです。そしてクリスチャンといえども遭遇する

誘惑ですから、わたしたちは御霊に満たされて、聖別

されていなければなりません。

 

 アナニヤとサッピラは「これは自分の資産を売った

一部です」と言えば、なんら問題が起きませんでした。

ところが彼らは、それが全部であるかのように欺いた

からです。ですから『あなたは人を欺いたのではなく

て、神を欺いたのだ』と言われたのです。

 

 ガラテヤ書67節に『間違ってはならない。神は

侮られるようなかたではない』とあります。人を欺いて

も神は絶対に欺くことはできません。ですから、

クリスチャンは神を欺くことを絶対してはなりません。

なぜなら、ルカ福音書817節に『隠されているもの

で、あらわにならないものはない』とあります。どんな

に巧妙に隠しても、神の目には全て明らかなのです。

そして『最後の審判のとき』にイエスの前で全てが

明らかにされるのです。ですからクリスチャンは神

に対して絶対に隠し事をしてはなりません。

 

 昔、アメリカで『ウォーターゲイト事件』があり

ました。それはホワイトハウスの『盗聴事件』でし

た。そのときにニクソン大統領は盗聴を否定しまし

たが、結局それが事実であったことが露顕したとき

に「大統領が嘘をついた」と辞任をしたのです。

「たかが盗聴ぐらいで大統領が辞めなければならな

いような事件か」と思われる方があるかもしれませ

んが、アメリカはキリスト教の文化の国です。そし

て聖書にあるように『嘘』は絶対に赦されないこと

なのです。またその人の人格を損失することなので

す。それで「大統領の嘘」は一国の指導者として

欠格問題となりました。

 

 以前、ある有名な老舗料理店が閉店に追い込まれ

るという事件がありました。その発端はプリンの

賞味期限の改ざんが明らかになったからです。

ところが、その後も牛肉の産地偽装が発覚し、また

お客の食べ残した料理を使いまわした、という事件

まで内部告発で暴露され、長い歴史と信用誇って

きた老舗料理店も世間の批判にさらされて信用を

失い、閉店してしまったのです。

 

 キリスト教の神は『隠れたことをみておられる神』

です。これがキリスト教の『神観』なのです。

ですから人を欺いても神を欺くことはできません。

陰日向のない生きかたをすることが大切です。よく

「人が見ているからしてはいけない」と子供に言う

親がありますが、それはどうでしょうか。他人が

見ていなくても、神は見ておられるからです。

そんな躾を受けた子供は、親の前では、また人の

見ている前では行儀よくしていても、だれも見て

いないところで何をしているかわかりません。

 

 あるクリスチャンホームに二人の男の子供が

いました。お兄ちゃんは小学生に入ったばかりで、

弟はまだ学齢期前でした。ある日、お兄ちゃんが

飛行機のプラモデルを買ってきて組み立てました。

そして出来上がった飛行機で部屋中を走り回って

遊んでいました。ところが弟も自分も遊びたくて、

「お兄ちゃん、ぼくにも貸してくれ」と頼みまし

たが、お兄ちゃんは「だめだ、ぼくの宝物だから」

と言って貸してくれないのです。

 

 ある日、お兄ちゃんが学校に行っている間に、

お兄ちゃんの机の引き出しからその飛行機を取り

出して遊んでいましたら、その一部が壊れてしま

ったのです。そこで弟は青くなって、なんとかし

て直そうとしましたが、直りません。そこでその

まま机の中に仕舞い込みました。学校から帰って

来たおにいちゃんが模型飛行機を取り出したら

壊れているのです。そこで弟を呼んで「お前が

壊したのだな。弁償しろ」と問いただしたのです。

ところが弟は、「ぼくは知らない」と言って自分

の犯行を認めませんでした。

 

 そこでしばらく沈黙をしていたお兄ちゃんは

最後に、「お前、神様の前に出ても知らないと

言えるか」と言ったのです。すると弟は観念して

「お兄ちゃん、ごめん」と自分の犯行を認めて謝

ったというのです。この子供たちは小さいときか

ら教会学校に行っていて「神様は隠れたことでも

見ておられる方だ」と教えられてきたからです。

そしてお兄ちゃんを欺いても、神様は欺くことが

できないと観念をしたのです。

 

 小さいときから教会に連れて来て、神様の事を

教えられることは大切なことです。『あなたの若い

日に、あなたの造り主を覚えよ』と伝道の書12

1節にありますが、若いときに教会に連れてきて

神を畏れ敬うことを教えることが大切なのです。

『鉄は赤いうちに打て』と言いますが、子供もまだ

何も理解できなくても、小さいときから教会に

連れてきてご臨在に近づけることが大切です。

それを、「もう少し大きくなってから」、「道理が

わかるようになってから」では後手になってしま

うのです。

 

 昔、バックストン先生の集会が軽井沢で開かれた

ときのことです。小さい子供連れのお母さんが、

子供は長い間じっとしておれなく騒ぎますので、

外に出たり入ったりしていました。ところが集会の

後でバックストン先生が、そのお母さんにおっしゃ

った言葉に、『子供はまだ何もわからないかも知れ

ませんが、ご臨在に近づけているならば聖霊は皮膚

からでも入ります』と言われたそうです。これは

有名な話です。そしてその子はいまも立派な牧師と

なって活躍しておられます。   (Jun,20,2010)