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2011.6.26
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主から目を離さないこと

 

『主よ、わたしに敵する者のいかに多いことでしょう。わたしに
逆らって立つ者が多く、「彼には神の助けがない」と、わたしに
ついて言う者が多いのです。しかし主よ、あなたはわたしを囲む
盾、わが栄え、わたしの頭を、もたげてくださるかたです』。                           (詩篇31〜3節)

 

ダビデ王はたくさんの詩篇をつくりましたが、この3篇は彼の
代表的な詩篇といわれているものです。そしてこの詩篇がつくら
れたときは決してダビデの絶好調のときではなく、彼の息子アブ
サロムにクーデター(反乱事件)を起こされた状況のもとでつく
られたものです。


アブサロムは自分の同腹の妹が義兄のアムノンに辱められたこと
を知ったとき、彼は義兄を殺害したのです。そのために父ダビデの
怒りに触れエルサレムから逃亡しました。しかし3年後に将軍ヨアブ
の執り成しによって都エルサレムに帰ることが許されましたが、
王の前に出ることを許されず、また一族が一同に会して宴会をする
ときも、その席に出ることも許されませんでした。

 

そこで、自分は王位継承の立場にありながらも、このままでは
王位を継承することができないと考え、クーデターを起こして力
づくで王位を奪おうとしたのです。このとき、これまでダビデ王
の側近であった者、また部下であった者たちが、「彼には神の助
けがない」(神はダビデを見捨てた)と王を見限ってアブサロム
側に味方したのです。ですからダビデはまさしく「風前の灯火」
のような立場になったのです。そこで都エルサレムを棄ててヨル
ダン川の東に逃亡をしました。こんなときに作られたのがこの詩
篇の3篇です。

 

しかし、この詩篇を読んでみますと、いつ自分の危険が及ぶかも
しれないという状況の中にありながらも、少しもそれを感じさせな
いのです。4節『わたしが声をあげて主に呼ばわると、主は聖なる
山からわたしに答えられる。わたしはふして眠り、また目をさます。
主がわたしをささえられるからだ。わたしを囲んで立ち構えるちよ
ろずの民をもわたしはおそれない』と、なんと信仰の確信に満ち、
平安に満たされた状態ではありませんか。これが死に直面したダビ
デ王の姿でした。そして、その極めつけは、8節『救いは主のもの
です。どうかあなたの祝福があなたの民の上にありますように』と
締めくくっています。つまり、彼は自分に背いた者たちの祝福さえ
祈っているのです。

 

どうしてこんな平安におれたのでしょうか。そのヒントは3節に
あります。『しかし主よ、あなたはわたしを囲む盾、わが栄え、
わたしの頭を、もたげてくださるかたです』とあります。つまり
王は四面楚歌の状態にあるときに回りのものに目を向けないで
『しかし主よ』と神に目を向けたことです。わたしたちも何か
試練や困難に遭遇するとき回りのものを見ていると不安になったり、
不信仰に陥りますが、『しかし主よ』と神に目を向けるときに信仰
の確信が与えられるのです。

 

イザヤ4522節に『地の果てなるもろもろの人よ、わたしを仰
ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神は
ないからだ』とあります。この「地の果てなるもろもろの人よ」と
は、「どんなに行き詰まっている人でも」と柘植不知人先生は語っ
ておられます。とにかく神を見上げていけばいいのです。

 歴代誌201節以下に南ユダ王国の四代目のヨシャパテ王のこと
が書いてあります。彼の国にモアブ、アンモン、メウニの連合軍が
攻めてきたとき、ヨシャパテ王は『主に顔を向けて助けを求め』て
祈ったのです。彼には116万の軍隊がありましたが(171219
節)、それに頼らないで神に目を付けて祈ったのです。そして彼の
祈りは、12節『われわれはこのように攻めて来る大軍に当たる力が
なく、またいかになすべきかを知りません。ただ、あなたを仰ぎ望
むのみです』と。

 

つまりヨシャパテも『ただ、あなたを仰ぎ望むのみです』と神に
目をつけたのです。わたしたちも何か困難や戦い、試練の中に置か
れたとき、人に目をつけたり助けを求めたりしないで、神に目をつ
けることが大切です。そうすれば、神はわたしを助けてくださり、
どんな困難をも乗り越えていくことができるのです。

 

あるときラジオで、サーカスの綱渡りの達人だという人が話を
していました。綱渡りをしているとき中程まで進むとロープが自
然と揺れるのだそうです。そんなときはロープの先を結んでいる
ポールの一点から目を離さないで、ロープがおさまるのをじっと
耐えて待つのだそうです。そしてその秘訣は「絶対にロープの結
んでいるポールの一点から目を離さないことだ」と話していまし
た。これはわたしたちクリスチャン信仰生活でも同じことが言え
るのではないでしょうか。

 

マタイ福音書1429節に、ペテロも水の上を歩いたという記事
があります。ところがイエスのところに到達してホッとしたときに、
自分の立っている状況に気がついたのです。すると、とたんに恐怖
心がわいてきて恐ろしくなり溺れてしまったのです。このことはペ
テロがイエスだけに目をつけていたときは、われを忘れて水の上を
歩けたのですが、イエスから目を離して回りを見たとき急に恐ろし
くなり水にのまれてしまったのです。わたしたちも絶対にイエスか
ら目を離さないことです。

Jun,26,2011