本文へスキップ
2010.6.27
                                                      戻る

 

最初の殉教者ステパノ

 

『こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパ

ノは祈りつづけて言った、「 主イエスよ、わたしの霊をお受け

下さい」。そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、
どう
ぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい 」。こう言って、
彼は
眠りについた』。        (使徒行伝759)

 

 このところはステパノが殉教をしたところで、彼は初代教会

の最初の殉教者となりました。当時の初代教会はペンテコステ

の日に聖霊に満たされた者たちが、持ち物を共有にして共同生

活をしていましたが、ひとつの問題が起こりました。それはユ

ダヤ人にはヘブル語を使うユダヤ人を『ヘブライオ』といって

生粋のユダヤ人ですが、もう一つのギリシャ語を使うユダヤ人

を『ヘレニスト』と言われ、彼らは外国に住んでいた経験のあ

るユダヤ人で、外国の影響を受けた人たちでした。ところが
日々
の給食のときに「ギリシャ語を使うユダヤ人が差別をされ
る」と苦情がもたらされたのです。

 

 そこで教会は「使徒たちがこのような日常的なことに携わる

のは宜しくない」と、執事を選んで彼らに任せたのです。それ

が6章にあります。『 あなたがたの中から、御霊と智恵に満ち

た評判のよい人たち七名を捜し出して、この人たちにこの仕事

を任せ、自分たちは専ら祈りと御言のご用に当たることに』し

たのです。そして選ばれた七名の執事の中にステパノがいたの

です。

 

 彼の人物像を聖書にはこう書いてあります。8節『 ステパノ

は恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるし

とを行っていた』。9節『 ステパノと議論したが、彼は智恵と
御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった』。15節
は『議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注い
だが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた』とありま
す。

 

 ステパノはこのように恵まれた人でした。それなのに群衆は

なぜ、こんな恵まれた人を憎み殺そうとしたのでしょうか。そ

れは彼が恵まれていたから妬んだのです。サタンは妬みの霊で

す。彼は自分が不幸なので、恵まれて幸せそうにしていると腹

が立って面白くないのです。

 

 イエスを十字架にかけて殺したのも妬みのためでした。マタ
福音書27章18節に『彼らがイエスを引きわたしたのは、
妬み
のためであることが、ピラトにはよくわかっていたからで
ある』
とあります。箴言に『妬みは骨の腐りなり』(文語訳)
とありま
す。妬み心は人間の冷静さを失わせ、犯罪にまで至ら
せる恐ろし
い心です。ですから心の中の妬み心があるならば、
御霊によって
聖別されなければなりません。

 

 年頃の娘を病気のために失い、毎日失意のどん底を送ってい

た奥様が、ある日町の銭湯にいきました。そして湯船に浸かっ

ていたら隣で首まで浸かって幸せそうにしている、死んだ娘と

同じ年頃の娘を見たとき、「 自分の娘は死んだのに、この子は

幸せそうにしている」とむらむらと妬み心が起こり、そっと近

づくとその娘さんの太股を思い切りつねりました。そうしたら、

その娘さんはびっくりして湯船から飛び出して行ったのです。

そのあとでそのお母さんは「先生、わたしが何と罪深い者で

しょう」と言って告白をしていましたが、妬みは様々な罪の

元凶なのです。

 

 ユダヤ人がステパノを殺したのも妬みでした。彼は最も残酷

な石打ちの刑で殺されましたが、『 こうして、彼らがステパノ

に石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、

「主イエスよ、わたしの霊をお受けください。そして、ひざま

ずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わ
ないでください」。こう言って、彼は眠りについた』とあり
ます。

 

 彼には死に対する恐れもなく、静かに祈ることができたのは、

天国を見ていたからです。55節『 しかし、彼は聖霊に満たさ

れて、天をみつめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右
に立っておられるのが見えた。そこで、彼は「ああ、天が開け

て、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言っ
た』とあります。天国の幻を見た人は、だれも死を恐れなくな
ります。

 

 先日も長崎の26人の殉教者の話をしましたが、その中で

12歳のルドビコという日本人の少年が長崎奉行に呼び出さ
れ、「 もしキリシタンの信仰を捨てるなら、お前の命を助け
やる」と言いましたが、そのとき少年が答えた言葉は「そ
れほ
どまでして命を助かろうとは思いません。たちまち消え
ゆく
はかない命と永遠の命とを取り替えることはできません」
とい
うことでした。これが12歳の少年の言葉でしょうか。

 

 また三木パウロは十字架の上から「死に臨んでわたしが偽り

を申さぬことを信じてくださいませ。キリストの教えによるほ

か、救いの道のござらぬことを確信して申しあげまする。この

死について、太閤さまをはじめ、お役人衆になんの恨みも抱い

ておりません。節に願いまするのは、太閤様をはじめ日本のみ
なの衆がキリシタンにおなりになって、救いを受けなさること
でございまする…」。こう言って彼は両側から槍で突かれて
絶命をしたのです 。実に見事な最後ではありませんか。                        

                      (Jun,27,2010)