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2011.7.3
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あなたの幸福はどこに

 

『神よ、わたしをお守りください。わたしはあなたに寄り頼み
ます。わたしは主に言う、「あなたはわたしの主、あなたのほ
かにわたしの幸いはない」と』。 (詩篇161-2節)

 

ある大学で学生たちを対象にしてアンケートをとったそうです。
「あなたのいちばん好きな言葉は何ですか」という問いに、多く
の人が『愛』『幸福』と答えた人がダントツに多かった、という
報告を読んだことがあります。これは説明しなくてもおわかりの
ことと思います。

 

この詩篇はダビデ王の『幸福論』のひとつです。彼はイスラエ
ルを統一して強大な『統一王国』をつくりあげた人です。そして
その権力と財力でどんな事でもすることができる王でした。しか
し、その王が『あなたのほかにわたしのさいわいはない』と歌っ
たのです。この「あなた」とは、いうまでもなく神のことです。

 

ヨブ記2221節に『あなたは神と和らいで、平安を得るがよ
い。そうすれば幸福があなたに来るでしょう』とありますが、こ
こで「幸福は神と和らぐことだ」と言っているのです。「神と和
らぐ」とは神と和解するということで、和解するということは神
と対等の立場で和解するようにみえますが、はっきり言って「神
から罪を赦されること」です。神から罪を赦されてはじめて心の
中に平安が与えられるのです。そして心に平安が与えられてはじ
めて誰でも幸福になれるのです。

 

わたしたちも若いときにはいろいろな幸福論をもっていまし
た。いい学校に入って、大きな会社に就職し、美しい女性と結
婚して家族に恵まれ、立派な家を持つこと。また立身出世して
名誉名声を得るが幸福につらなる理想と考えていました。しか
し、年をとってみて、ある程度の理想を手にしたところで人生
を振り返ったときに、ほんとうの幸福はこんなものではないこ
とに気がついたのです。そして結論として得たことは、心が平
安であることがいちばんの幸福であることを悟ったのです。ど
んなに立派な家に住んでも、莫大な財産を得ても心に平安がな
い人生は空しいものです。

 

つまり、幸福は外に求めるものではなく自分の内に求めるも
のなのです。アウグスティヌスという人は『わが魂は神のふと
ころに憩うまでは安きはない』と言いましたが、これも有名な
言葉です。ほんとうの幸福は外にあるものなのではなく内にあ
るのです。

 

メーテルリングの『青い鳥』という童話がありますが、この
童話は幸福の青い鳥を求めてチルチルとミチルが巷をさまよい
ました。そして贅沢な家庭で、外から見るとしあわせそうな暮
らしぶりをみて、ここに幸せの青い鳥を見つけるのです。そし
て青い鳥を捕えて籠にいれたら普通の鳥になってしまったので
す。そして失望して自分の家に帰ってみると、家の籠の中に青
い鳥がいたというのです。つまり幸福の青い鳥は外に求めるも
のではなく、自分の内に求めるものだということを語っている
のです。

 

また、カールブッセという詩人の『山の彼方』という詩に
『山の彼方、空遠く、さいわい住むと人の言う。ああわれ人と
共にとめゆきて、涙さしきぬ帰り来ぬ。山の彼方、まだ遠くさ
いわい住むと人のいう』。有名な詩で若いときにいちどは口に
されたことがあると思いますが。これは「人々があそこに行け
ば幸福がある。ここに行けばさいわいがある」と言っても、本
当の幸福は人の言うようなところにあるのではなく、やはり自
分自身の中に求めるものであることを言っているのです。

 

伝道の書2章にソロモン王の歌があります。彼はダビデ王の
後継者としてイスラエルの王となった人で、彼は莫大な財力で
もってエルサレムに神殿と王宮を建設し、『ソロモンの栄華』
と言われたほどの成功者でした。その彼が自分の人生の晩年を
振り返ったときに言ったのです。

 

11節に『そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およ
びそれをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であっ
て、風を捕えるようなものであった。日の下には益となるもの
はないのである』とあります。つまり、この世の栄誉栄華もみ
な空しいものだと言っているのです。

 

今から二千三百年ほど前に世界を征服したギリシャのアレキ
サンダーという王がいました。その王は若干32歳のときに一匹
の虫に噛まれて落命をしました。おそらくマラリヤだろうと言
われています。あのような征服王でも一匹の虫にも勝てないな
んて皮肉なものです。その王が臨終で遺言をしたのです。それ
は柩の両方に穴を開けることでした。そして葬式の葬送のとき
柩の両方の穴から手がぶらぶらと下がり、奇妙な葬送の行進に
沿道の国民は驚いたということです。これは王の一世一代の皮
肉だったのです。つまり、自分はこの手に世界を征服して得た
が、いまは空し手でこの世を去っていくことを示したのです。

                     Jul,03,2011