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2011.7.10
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ダビデの幸福論 partU

 

『そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわい
である。主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人
はさいわいである。わたしが自分の罪を言いあらわさなかった
時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの罪はふるび衰え
た』。                 (詩篇32篇1−3節)

 

 前回は詩篇162節でダビデの幸福論のpartTを話しました。
つまり『あなたはわたしの主、あなたのほかにわたしの幸いは
ない』と。彼はイスラエル統一王国の王として、その権勢でど
んなことでもできる立場にありました。しかしその王が自分の
幸福はそんな外的なものではなく『あなたのほかに』、つまり
神様による以外に幸福がないと悟ったのです。これが権勢を極
めたダビデの信仰告白だったのです。

 

 わたしたちもいろいろな幸福論をもちました。それらはみな
この世的なものでした。しかし、神を知り、神による救いにあ
ずかったとき、ほんとうの幸福を得たのです。ヨブ記2221
節に『神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があ
なたに来る』とありますが、このみ言葉のとおりに神と和解
(罪赦されて救われたとき)、その心に平安が与えられてしあ
わせになったのです。

 

 つまり幸福は心の平安な状態でありました。どんなにたくさん
の財産に恵まれていても、心が何かに脅え、戦々恐々とした人生
だったら、決して幸せな人生とは言えません。

 

 さて、今回はダビデの幸福論のpartUです。それは詩篇32
1
節で彼はうたっています。『そのとががゆるされ、その罪がお
おい消された者はさいわいである』と。これは神に自分の罪が赦
されることが幸福だと言っているのです。そしてこれはダビデの
尊い経験から体得したものだったのです。

 

 実は、ダビデ王は彼の人生で取り返しのつかないような大きな
失敗をしました。それはサムエル記下11章に記されていますが、
部下たちが戦場で戦っているときに、彼の部下ウリヤの妻バテシ
バと姦淫事件を起こしてしまったのです。その結果バテシバは懐
妊をしてしまったのでダビデは慌てました。そして自分の王とし
ての対面を保つために恐ろしいことを行ったのです。そして結果
的にバテシバの夫ウリヤを戦場で戦死させて、ひと安心をしたと
ころが、人を誤魔化しても神を騙すことはできません。なぜなら
『神は隠れた事を見たもう神』とありますが、神はすべてを見通
しておられるからです。

 

 ある日、預言者ナタンがダビデ王にその罪を指摘して悔い改め
を迫ったのです。そして王はこれ以上、神を騙すことができない
ことを知って、ダビデは神の前に赤裸々な自分の罪を告白して悔
い改めました。そして赦されたとき初めて彼の心のなかに平安を
得たのです。

 

 それまでの彼の心は『わたしが自分の罪を言いあらわさなかっ
た時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰え
た』と言っています。つまりダビデは自分の部下たちの前では平
静を装っていましたが、彼の心のなかは良心の痛みで『苦しみう
めいていた』のです。しかし、神から罪が赦されたときに、彼の
心の中に平安が与えられたのです。ですからダビデは『その罪が
おおい消された者はさいわいである』と、はっきりと信仰告白を
することができたのです。これがダビデの幸福論のpartUでした。

 

 箴言2813節に『その罪を隠す者は栄えることがない。言い
表して離れる者はあわれみを受ける』とあります。このみ言葉の
ように神から示されたとき、神の前にすべてを明らかにして悔い
改めるなら、神はどんな罪でも赦し、わたしたちを新しく立ち直
らせてくださるのです。

 

 キリスト教の信仰の第一歩は悔い改めです。この悔い改めをし
ないで、つまり自分の罪を隠したままでは信仰の進歩はありませ
ん。『言い表して離れる者はあわれみを受ける』のです。創世記
13
章にアブラハムの悔い改めの礼拝があります。彼はエジプトで
不信仰の失敗をしたときに、彼は12章にある『はじめに築いた祭
壇のところに行き』、不信仰によって崩れた祭壇を築き直して悔
い改めの礼拝をしました。これがアブラハムのこの後の祝福とな
ったのです。わたしたちも神の前に悔い改めて、はっきりと信仰
の筋をとおすことが大切なことです。

 

 こんな話があります。少し古い話ですが、ある警官が夜中に暗
い路地をパトロールしていました。すると少し前方に男性が歩い
ていましたが警官もあまし意識をしていませんでした。ところが
何かのひょうしに腰に下げていたサーベルのガシャッという鈍い
音がしたとたんに、前方にいた男性が突然走り出したのです。お
かしいと思った警官が追いかけて捕まえたところが、なんと全国
指名手配の出ていた男だったのです。彼は警官のサーベルの音を
聞いたとたん、反射的に逃げ出したのです。そして留置場でその
晩は大きなイビキをかいて寝ていたそうです。彼は逃亡している
間はいつ捕まるかと戦々恐々として安眠することができませんで
したが、逮捕されてほっとして、はじめて安眠ができたのです。
心にまだ神に対して清算できていない問題、また隠している事が
あれば、平安を得ることはできませんが、告白をしてはじめて平
安を得るのです。『「わたしのとがを主に告白しよう」と。その
時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた』                                   
                      (Jul,10,2011