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2010.7.11
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主に従った伝道者ピリポ

 

『使徒たちは力強くあかしをなし、また主の言を語った後、

サマリヤ人の多くの村々に福音を宣べ伝えて、エルサレムに

帰った。しかし、主の使がピリポに向かって言った、「立って

南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」(この

ガザは今は荒れはてている)。そこで彼は立って出かけた』

                 (使徒行伝82526)

 

 これは伝道者ピリポが神の導きに従いガザに向かったところ

です。彼は6章で『聖霊と信仰に満ちた評判のいい人』として

選ばれた7人の執事のひとりでした。ところがステパノの殉教

を契機にエルサレム教会に対する迫害が起こり、『使徒以外の

者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行っ

た』のです。そして『散らされて行った人たちは、御言を宣べ

伝えながら、めぐり歩いた。ピリポはサマリヤの町に下って

行き、人々にキリストの福音を宣べはじめた』のです。その

結果、『群衆はピリポの話しを聞き、その行っていたしるしを

見て、こぞって彼の語ることに耳を傾けた』のです。そして

『この町では人々が大変なよろこびかたであった』とあります。

そのうえ『ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ

伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受け

た』(12)とあります。

 

 ピリポはこのようにサマリヤの町で尊く用いられていた

とき、御使をとおしてガザに行くように命じられたのです。

そして、このガザは「今は荒れ果てている」というような

ところです。確かに、この町はかつてはペリシテ人の町と

して繁栄したところでしたが、この当時は荒れ果てて人も

あまり住んでいないような土地だったのです。神はこの

ようなところにピリポを導かれたのです。

 

 ところがピリポはその御言葉に従い即座にガザ街道に

向かいました。これはピリポの信仰と従順でした。何故

なら彼はサマリヤの町でリバイバルの器として用いられ

ていた最中の人でしたから、そんな人のいないような

ところに行くよりも、このままサマリヤで伝道を続けた

ほうが有効と考えても当然です。しかし彼は神を畏れる

敬虔な使徒でしたから、神の導きに即座に従ったのです。

この『即座に従った』ということが重大な結果を招くこと

になるとは、誰も知りませんでした。聖書に『今知らず、

のち知るべし』(文語訳)とありますが、まさしくその通り

になったのです。

 

 そしてピリポがガザ街道で出会ったのはエジプト人で

女王に仕える宦官でした。彼はエルサレムで礼拝を終えて

故国エジプトに帰ろうとしていた道中だったのです。もし

ピリポの出発がぐずぐずしていて遅れていたら、この人も

馬車で移動していたのですから出会うことは出来なかった

と推察されます。

 

 このエジプトの宦官は馬車の中で聖書のイザヤ書53

を読んでいましたが、なかなか難解な箇所で困難を極めて

いました。そこでピリポが馬車に乗り、その箇所の意味を

解き明かしたので、彼はイエスの十字架の犠牲と贖いの

意味を理解することができ、信じて聖霊を受けて故国に

帰ったのです。そして、後日談によると彼は伝道者となり

熱心に伝道をしたので、エジプトの国がキリスト教国に

なったと言われています。

 

 このとき、ピリポがガザ街道で導いたのは一人だけです

が、そのひとりを通してエジプトのリバイバルという

素晴らしい栄光を拝したのです。これも、彼が神の導きを

受けたときに即座に従ったからです。

 

 アブラハムの生涯を通してもこのことを教えられます。

創世記12章に神がアブラハムをカナンの地に導かれたと

ころがあります。そのときアブラハムは、『主が言われた

ようにいで立った』とあります。またヘブル書118節には

『その行く先を知らないで出て行った』と書かれています。

つまり神の命に従い、信仰をもって従って行ったことを言って

いるのです。

 

 神はアブラハムに言われたのは『どこどこに行け』と、

具体的な場所を言われたのではありません。ただ『わた

しが示す地に行け』と言われただけです。でも彼が従う

ことができたのは『神の最善』を信じていたからです。

つまり『神は善にして善を行われる方』であることを

信じていたからです。そして導かれたところがカナンの地

でした。そこでアブラハムの一族が祝福を受けて増え広が

り、今日のイスラエルとなったのです。

 

 また、223節にアブラハムは自分の息子イサクを

神に捧げるところがあります。このイサクはアブラハム

がカナンの地に導かれて25年後に、ようやく与えられた

子供です。その子のいちばん可愛いときに神は、『モリヤ

の山で、その子を燔祭としてささげよ』と言われたのです。

子供を燔祭として捧げるとは、その子を殺して生贄とする

のですから、こんな残酷な命令はありません。

でもアブラハムは、そのときも『アブラハムは朝はやく

起きて』従ったのです。この『朝早く』とは、神の命令

があったときに即座に従ったことを意味します。そして、

モリヤの山でその子を殺そうとしたとき、『あなたが神を

畏れる者であることを今知った』と御声があり、イサクの

代わりに捧げる燔祭の雄羊を与えられたのです。それは

アブラハムが純粋に神に従おうとしたからです。

わたしたちも純粋に従う者でありたいものです。

 

 教会員で時計屋とめがね屋を営むおじいさんが脳溢血で

倒れましたので、教会では、その人のために心を合わせて

祈っていました。その祈りにこたえられて快方に向かわれ、

本人も「早くよくなって礼拝に行きたい」とリハビリに

励んでいました。ところが無理をしたのか再発をしてしま

ったのです。

 

 ある晩遅くに、そのおじいさんの近所に住む教会員から

電話があり、「いま掛かりつけの医師に出会ったので容体

を聞きましたら、今晩がやまだと言っていました」と知ら

せてくれました。わたしは徹夜で編集の仕事をしておりま

したので、もうすこしで終了するので、それが片づいたら

行こうと、再び机に座り編集を再開したのですが、どうも

心が落ち着かないのです。そこで編集の仕事をやめて、

真夜中の国道をひた走り、そのおじいさんの家に駆けつけ

ました。店の前に車をとめて勝手の知った家に案内も請わ

ずに上がりましたが、おじいさんは奥の床の間に寝かされ

ており、その回りを家族や親戚の人たちが取り囲み、最後

を見取ろうとしておられました。

 

 わたしはおじいさんの枕元に座りましたが、病人はこの

病気独特の大きなイビキをゴーゴーとかいているのです。

そこで「OOさん。教会から来ましたよ。これからお祈り

をしますからね」と言うと、意識のないはずの病人のイビキ

が一瞬とまり、頭をわたしの方に向ける仕種をしたのです。

それから病人の頭に手を置いて祈りました。しかし、その

ときの祈りは「この病人を癒してください」という祈りでは

なく、「この人を平安にあなたの御許に召してください」と

いう祈りでした。

 

 そして最後に「今日、われ汝とともにパラダイスにある

べし。アーメン」と祈り終えると同時に、そのおじいさん

の息がピタッと止まってしまったのです。見事なご臨終で

した。しかしわたしは、この回りに座っている人たちから、

「先生はこの病人を祈り殺した」と言われないかと心配

するほどの一瞬の出来事でした。しばらくの間、沈黙が

つづいた後に、ひとりの親戚の人が、「この人は先生の

来られるのを待っていたのだ」と言ってくれてほっとしま

した。

 

 そして、そのときに思ったのは「直ぐに駆けつけて来て

よかった」ということでした。もし仕事を片付けてから

駆けつけたのでは、この臨終に間に合わなかったかもしれ

ません。この時からわたしは何事でも、神に示されたら

即座に従うことを心掛けて、今日まで50年間の牧師の仕事

をつづけてきました。話しは最初に戻りますが、ピリポも

御使から「ガザに行け」と導きがあったときに即座に従った

ので、馬車で移動中のエチオピヤの宦官を信仰に導くことが

できたのです。          (July,11,2010)