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2011.7.24
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  耐え忍んで主を待ち望め

『あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼の
ように明らかにされる。主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め』。                             (詩篇375-7節)

 

この37篇もダビデの作品で彼の『神義論』といわれるところで
す。この『神義論』とは「それでも神は義しい」ということです。
1節に『悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆ
えに、ねたみを起こすな』とありますが、神を信じない者、不義
を行っている者がなんの支障もなく栄えてしあわせな人生を送っ
ている。それに対して、神を畏れる正しい者たちが苦しむのを見
て、ほんとうに神はいるのか、いるのならどうして悪しき者たち
を放っておくのかと疑問をもって躓く人がありました。

 

それに対してダビデは、2節に『彼らはやがて草のように衰え、
青菜のようにしおれるからである』と言っています。つまり、今
どんなに栄えていても悪しき者の最後は青菜のように萎れて枯れ
てしまうのだから、彼らの今の栄をみて躓かないようにしなさい、
と言っているのです。そして、3節で『主を信頼して善を行え。
そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る』とあります。

 

そしてまた、5節には『あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せ
よ、主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あ
なたの正しいことを真昼のように明らかにされる。主の前にもだし、
耐え忍びて主を待ち望め』とあります。これはダビデが経験したこ
とを言っているのです。

 

 これはダビデの若いころの経験からでた言葉です。かれは少年の
ときにペリシテ軍の大勇士ゴリアテを倒すという手柄をたてました。
そしてサウル王に取り立てられて王に仕える者となりました。とこ
ろが巷で流行り歌がうたわれました。それは『ソウルは千を打ち殺
し、ダビデは万を打ち殺した』という歌でした。つまり民はダビデ
をイスラエルの英雄として褒めたたえたのです。それを知ったソウ
ル王は、自分の将来を危惧してダビデの命を狙いだしたのです。

 

 そしてダビデの逃亡先に王の手の者が追ってきて、幾たびも身
の危険を感じました。しかし、そのたびに神はダビデを守られた
のです。ダビデにとっては自分はなんらソウル王に対して敵意は
なく、ましてソウル王の身をあやめることなど全く論外のことで
した。それなのに自分の身の潔白を弁明することを赦されず、た
だひたすら沈黙を守ったのです。このときのことを『主の前にも
だし、耐え忍びて主を待ち望め』と言っています。この「もだし
て」とは沈黙すること、いちいち弁解をしない、ということです。
そして主を待ち望んでいくならば、主が必ず自分の義を明らかに
してくださるというのです。

 

 人間は直ぐに弁解をします。「これは自分の責任ではない」、
「自分はなにも悪くない」といって自己弁護をします。しかし神
を信ずるものはいちいち自己弁護をしないで一切を神に委ねるの
です。そうすれば神がわたしたちの潔白を証明してくださるので
す。

 

 イエスもピラトの法廷で裁きを受けるとき、人々はイエスのこと
を悪しざまに言って訴えました。しかし、そのときイエスは一言も
弁明することがなく、ピラトが不思議に思うほどに沈黙を守られた
のです。それは自分で義を明らかにしないで一切神に委ねられたの
です。そのために死罪を言い渡されて十字架にて処刑されましたが、
三日目に神はイエスを復活されたのです。つまりイエスの復活はイ
エスの義を明らかにされたのです。

 

 わたしたちも信仰のために、ときには人々から誤解され、悔しい
思いをしたともあったかもしれません。しかし、自分でいちいち弁
解していると人々はわたしたちが言い訳をしていると誤解されて、
ますます不利な立場に立たされることがあります。そんなときわた
したちは一切を神にゆだねて沈黙を守ることです。そうすれば神が
すべてを明らかにしてくださるのです。『主に信頼せよ、主はそれ
をなしとげ、あなたの義をひかりのように明らかにし、あなたの正
しいことを真昼のように明らかにされる。主の前に耐え忍びて主を
待ち望め』。

 

 ある町にクリスチャンの町長さんがいました。彼は真面目な町政
をしましたので町民から好感を得ていました。ところが一つだけあ
まりよくない噂がありました。それは「町長はケチだ」という噂で
した。そこで友人たちが町長室を訪ねて、「あなたのことをケチだ
といっている人たちがあるから、あなたも皆と同じように寄付をし
たほうがいい」と忠告をしたのです。その町ではお祭りとか小学校
の運動会のときに町民が寄付をする習慣があり、それを半紙大の紙
に「○○様、○○円ご寄付」といったように町中に張り出すのです。
そして、いつも町長の寄付の張り紙が貼られていないので町長はケ
チだ、といった噂をする人があったのです。

 

 そこで町長は「寄付なら昨日も小学校に行って校長に渡してきた。
ただ神に書いて張り出すのは止めてほしい。そうしなければ今後寄付
はしないと言ってきた」という返事だったのです。町長はクリスチャ
ンだったので「右の手のしていることを左の手に知らせるな」という
聖書の教えを守ったのでした。そのことが町長の記念会の席で明らか
にされ、それを聞いた町民は町長のほんとうの立派さに感動したとい
うのです。

                                 (Jul,24,2011)