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2011.7.31
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  柔和なるものは国を継ぎ

 

『おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人
のゆえに、心を悩ますな。怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ます
な。これはただ悪を行うに至るのみだ。悪を行う者は断ち滅ぼされ、
主を待ち望む者は国を継ぐからである。悪しき者はただしばらくで、
うせ去る。…しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむこ
とができる』。              詩篇37篇711

 

 前回も話ましたようにこの詩篇はダビデ王の『神義論』といわれる
詩篇です。わたしたちも経験することですが、世のなかには神を信じ
ない者が、また神を畏れない者たちが跋扈し、大手を振ってのさばっ
ているのを見て、ほんとうに神はいるのであろうか。どうして神は彼
らを審かれないのだろうか、と疑問を覚えることがあります。

 

 それに比べて、神を畏れて真面目な人生を送っているわたしたちが
苦しんでいるのは何故か、と疑問をもつことがあります。しかし、
『彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである』
とあるように、必ず彼らの最後は滅びなのですから、悪しき人たちの
栄えを見て躓かないようにすることが大切です。

 

 そして『柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができ
る』とありますように、最後に残るのは柔和な者です。そしてイエ
スもまた、『柔和な者はさいわいである。彼らは地を受け継ぐであ
ろう』 と言っておられます。(マタイ福音書5章5節)。そして
エルサレム入場のとき平和の象徴であるロバの背に乗って入場され
ました。これはゼカリヤ書9章9節の預言の成就するためでした。

 

 わたしたちクリスチャンの徳目は柔和であることです。コロサイ
書3章12節に『謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい』とあります。
ですからわたしたちも柔和な者にされたいものです。この柔和はガ
ラテヤ書5章22節に『御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、
善意、忠実、柔和、自制』とあります。つまり柔和な心も御霊によ
って神から与えられる心なのです。ですからわたしたちも御霊に満
たされて柔和なクリスチャンとされたいものです。

 

 さて、創世記にイサクという人物が登場します。彼はアブラハム
の息子ですが、実に恵まれた人物として描かれています。聖書に登
場する多くの恵まれた人物もいい面もありますが、また人間臭い醜
いところもあります。これが人間のほんとうの姿でしょう。ところ
がイサクにはそんところは見えないのです。彼は生まれながらのク
リスチャンのような柔和な人物だったようです。

 

創世記26章にこんな事が書かれています。彼らは遊牧人ですか
ら草のあるところ、水のあるところを転々と移住をしていました。
ところが知らない間に国境を越えてペリシテの地にいたのです。こ
れだけならよくあることですから、それほどに問題にはならなかっ
たのですが、イサクたちたちは神の祝福を受けて百倍の収穫を得た
のです。それを妬んだペリシテ人たちはイサクたちに難癖をつけて
追い出しにかかったのです。そして彼らが使っていた井戸を取り上
げてしまったのです。

 

彼らはその井戸を塞いだのです。このときイサクは柔和にして
彼らと争いませんでした。本来ならこの井戸はアブラハムの井戸
ですから当然イサクの井戸と言っても過言ではありません。彼は、
『主のしもべは争うべからず』と、自分の権利を争わなかったの
です。

 

そこでイサクはゲラルの谷に移動をしましたが、その所でもまた
アブラハムの堀った井戸を掘って使っていましたが、またゲラルの
人たちから嫌がらせをされて移動を余儀なくされたのです。そのと
きもイサクは彼らと争うことはせず、彼らの言われるままに後退し
ていったのです。そしてベエルシェバまで来ましたが、そこはイス
ラエルの領地でしたから、ここまで追っ掛けて来て嫌がらせをする
ことはできませんでした。

 

ところが後日、ゲラルの人たちがイサクのところにやって来て、
「あなたと契約を結びたい」と言ってきたのです。この契約とは
「平和条約」とか「不可侵条約」のようなもので、イサクがどんな
に嫌がらせをしても争わないで立ち去ったので、彼らはイサクに対
して不気味に思い、きっと今に恐ろしい復讐をしてくるに違いない
と恐れたからです。

 

そのイサクに対して彼らは『われわれはあなたに害を加えたこと
はなく、ただ良い事だけをして、安らかに去らせたのですから、あ
なたはわれわれに悪い事をしてはなりません』と言ってきたのです。
よくもこんな白々しいことを言えたものです。イサクにさんざ嫌が
らせをして追い出したのに。これを「盗人たけだけしい」といいま
す。ところがイサクは「彼らのために盛んなふるまいを設けた」の
です。そして明くる朝、彼らの求める「平和条約」を結んで帰しま
した。こうしてみるとイサクという人はどこまでお人好しなのでしょ
うか。これがクリスチャンの姿なのです。

 

また民数記12章3節に『モーセはその人となり柔和なこと、地
上のすべての人にまさっていた』とあります。聖書にこんなことを
書かれるモーセはほんとうにしあわせな人です。彼は出エジプトを
した二百万の大群を導いた人でした。文句の多い民を導くのは余程
忍耐と寛容、そして柔和がなければできないことです。(以下、略)                   

                                              (Jul,31,2011)