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2011.8.07
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神はわれらの避け所

 

『神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助け
である。このゆえに、たとい地は変わり、山は海の真中に移る
とも、われらは恐れない。たといその水は鳴りとどろき、あわ
だつとも、われらは恐れない。たといその水は鳴りとどろき、
あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われら
は恐れない』               (詩篇46篇1‐3節)

 

 この詩篇は南ユダ王国のヒゼキア王のときに北のアッスリヤ
のセナケリブが攻めてきたとき、王は神を信頼して勝利をした
ときに作った詩篇です。ここで賛美されているようにわたした
ちも神を信頼していくならば、どんな状況の中に置かれていて
も恐れなく勝利することができるのです。

 

 何故なら、神はわたしたちの避け所(これは戦時中の人はま
だ覚えておられると思いますが、防空壕のようなところで空襲
のときこの防空壕の中に身を潜めて守られたという代物)で、
わたしたちも神の懐の中に飛び込んでいくならわたしたちを守
ってくださるのです。そしてまた『悩めるときのいと近き助け
である』とありますが、神は誰に助けを求めるよりも、いちば
ん近い救助者なのです。ですから、何か問題が起こったとき、
助けを必要としたとき、この世の何者に頼らないで神により頼
んでいくなら、神はわたしたちの救い主となってくださるので
す。

 

 さて、話がかわりますが、『ウェストミンスター小教理問答』
のなかに「何故、信仰が必要か」という問いがあります。そし
てその答えとして二つのことが書かれています。その一つは「人
間はあまりにも弱いので、何かに頼らなければ生きてゆけないか
ら」とありました。そして第二の答えは「人間は変わらなければ、
そのままでは神の恵みを受けることはできないから」とあります。

 

 そこでまず第一の答えについて話しますと、確かに人間は弱
い存在です。「信仰なんていらない。それは弱い者がすること
だ」と強気なことをよく言いますが、それは強がりなだけにす
ぎません。娘さんに信仰をもつようにと勧められたおじいさん
もこんなことを言っていましたが、自分の人生の終わりの近い
ことを悟っていたとき、娘の言葉に従って信仰をもって恵まれ
て御国に召されていきました。そのように人間はほんとうは弱
いのです。

 

 また、悪いことがわかっていても、煙草一本の悪習慣がなか
なか改められないのです。これは意志が弱いからです。お客さ
まのご機嫌をとろうと煙草を差し出した運転手が、お客さまに
断られ、「どうして吸わないのですか」と問うたとき、「身体
に悪いから」と言うと、「そうなんです。身体に悪いこと
は分
かっているのですが、これがなかなか止められなくって」と言
ったので、お客さまから「あんたは、信仰なんて弱い人のする
ことだ、と人を馬鹿にしたように言っていたのに、煙草一本や
められないのですか」と逆襲され、「いや、これは一本やられ
ました」と頭を掻いたというのです。そのように人間は悪いと
分かっていてもなかなかその悪習慣が止められないような弱い
存在なのです。その悪習慣を断ち切る力が与えられるのです。

 

 また、人間は「気も弱いのです」。人からなにか言われると
直ぐに気にするところがあります。ある男性が医師から「あな
たの病名は胃炎」と言われたとき、恐ろしい病名が告げられる
のではないかとおそれていたので、「言えん」と勘違いし、本
人に病名を言わないということは、よほど悪い病気に違いない
と勘違いをして病院から飛んで帰って布団の中にもぐり込んだ
というのです。

 

 しかし、ことの真相を知ってこの男性はまた元気を出したと
いうのです。このように、人間は弱い存在ですから何かに頼ら
なければいきていけないのです。そして神はわたしたちの『い
と近き助け』なのです。ですから、この神を信頼して力強い人
生を送ろうではありませんか。

 

 第二の質問の答えに移ります。「人間は変わらなければ、こ
のままでは神の恵みを受けることはできないから」。なぜ、人
間は変わらなければならないのですか。それは神に創造された
本来の姿を失ってしまったからです。ローマ書323節に『す
べての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなってお
り…』とあります。そして人間の不幸の根源はここにあるので
す。

 

しかし、「キリスト教は生まれ変わりに宗教だ」といわれま
すが、どんな人でも神のみ旨に適う人に生まれ変わることがで
きるのです。いや、生まれ変わることができるのではなく、生
まれ変わらせてくださるのです。それがイエス・キリストの救
いです。人々は自分を変えたいといろいろ努力をします。しか
し、その本質が変わらなければ空しいのです。

 

 コリント後書5章17節に『だれでもキリストにあるならば、
その人は新しく造られた者である』とあります。新約聖書に登
場するザーカイという取税人がイエスに出会って変えられたと
いう話はあまりにも有名なことです。守銭奴のような彼が愛の
人に変わったのです。ですから、どんな人でも神を信じて生ま
れ変わらない人はありません。

 

 主人を憎み続けてきたお婆さんが、晩年にキリスト教を信ず
るようになりました。そのときから、長い間もっていた夫に対
する憎しみとわだかまりを忘れてしまうほど変えられたのです。
そして恵まれて天国に召されて行きました。


                    (Aug,07,2011