本文へスキップ
2010.8.22
                                                      戻る


  

挫折した青年マルコ

 

『ペテロはこうとわかってから、マルコと呼ばれているヨハネの母

 マリヤの家に行った。その家には大ぜいの人々が集まって祈って

 いた』。  
             (使徒行伝12章12節)   

 

 今日は人生の挫折を乗り越えたマルコの話をします。このマルコ

はイエスの直接の弟子ではありませんが、『マルコによる福音書』の

著述をした人です。(と言ってもペテロの口述筆記ですが)しかし、

このマルコ福音書は、マタイ福音書、ルカ福音書の三つの福音書の

根幹をなす大切な福音書です。このような仕事をしたマルコは実に

栄誉なことでした。しかし、彼は最初からこんな立派な仕事をした

のではなく、むしろ若いころには失敗をして人生の挫折を味わった

人だったのです。ところが神は彼の悔い改めを受け入れて立ち直ら

せたのです。


 マルコが最初に聖書に登場をするのは、マルコ福音書14章51節で

『ある若者が身に亜麻布をまとって、イエスのあとについて行ったが、

人々が彼をつかまえようとしたので、その亜麻布を捨てて、裸で逃げ

て行った』とあります。これはイエスが捕らえられたときのことです。

それを見届けようとして後をついていたとき、群衆の中からマルコを

見つけて捕らえようとしたのです。そのとき、その若者は上着を脱ぎ

捨てて逃げたさまを書いているのです。そしてこの若者とはマルコ自身

のことでしたが、彼はあまりにもみっともない姿だったので、その若者

のことを自分の名で書けず、『ある若者』と書いたのです。


 さて、マルコの母はたいへん恵まれた人で、自分の家を開放して

集会の場に提供をしていました。使徒行伝1章の120名の者が

ペンテコステの待ち望みの祈り会をしたのがマルコの母の家だと

いわれています。また12章でペテロがヘロデ王に捕らえられ獄に

入れられたとき、教会でペテロのために熱心な祈り会をしたのも

マルコの母の家だったのです。マルコの母はたいへん恵まれた人

でしたから自分の家を『家の教会』として解放をしていたのです。



 そんな中で育ったマルコは自分の家に出入りするイエスの弟子

や信者たちと接することが多く、たいへん恵まれた環境で育てら

れたのです。ですから、マルコ自身も若いときから筋のいい恵ま

れた信仰の人でした。そのため弟子たちからも愛された様子が、

12章24節を見ると『バルナバとサウロ(パウロ)とは、その任務

を果たしたのち、マルコと呼ばれていたヨハネを連れてエルサレム

から帰ってきた』とあるほどです。


 そこでパウロの『第一回伝道旅行』のときに、マルコも一緒に

同行しましたが、パンフリヤまで来たとき『ヨハネ(マルコ)は

一行から身を引いて、エルサレムに帰ってしまった』のです。これ

がマルコの挫折だったのです。なぜ彼は旅の途中で逃げたしたので

しょうか。それは初めての海外旅行のためにホームシックになった

のではないかと言われています。



 これが『第二回伝道旅行』のときに大きな問題を引き起こしたの

です。15章を見ると、バルナバはまたマルコを連れて行こうとしま

したが、
パウロは『前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共に

しなかったような者は、連れて行かないほうがよい』と反対をした

ために、バルナバとパウロの間で『激論が起こった』とあります。

バルナバは愛の人でしたから、なんとかしてもう一度マルコに、

立ち直るチャンスを与えたいと期待をしたのですが、パウロは厳格

な人でしたから先の伝道旅行のときにマルコのした行動を赦せなか

ったのです。そのためにバルナバとパウロは袂を別って行動をした

のです。


 このような旅の途中で逃げ出したマルコでしたが、その後、彼は

悔い改めたので、彼は立ち直ることができたのです。そして主は

マルコを尊く用いられ、福音書の中でも最も大切な『マルコによる

福音書』を書くという栄誉にあずかったのです。そしてまた、

パウロも悔い改めて立ち直ったマルコに対する認識を変えています。

彼の書簡の中にも『わたしの同労者マルコからもよろしく』とあり

ます。また『マルコを連れて一緒に来なさい。彼はわたしの勤めの

ために役に立つから』(テモテ後書4章11節)とさえ言っています。



 さて、わたしたちも若いときにはよく失敗します。でも愛なる神は、

一度や二度失敗をしたからといって『お前のような者は駄目だ、信用

ならぬ』とは言われません。イザヤ書44章22節に『わたしに立ち返れ、

わたしはあなたを贖ったから』とあります。神の愛と赦しを信じて

立ち返ることが大切なのです。放蕩息子がどん底にまで落ちぶれたとき、

彼は父の元に立ち返りました。すると父は息子として喜んで迎え入れて

くれたではありませんか。


 わたしたちも人生に失敗したとき、挫折をしたときに、神の愛、

赦しの愛を信じて神のもとに立ち返るなら、神は喜んで、子として

迎え入れてくれるのです。大切なことは神のもとに立ち返ること

です。アブラハムもエジプトで失敗したとき、『彼が初めに築いた

祭壇のに行き所に行き、その所でアブラハムは主の名を呼んだ。

(神を礼拝をした)』(創世記13章4節)とあります。これは

アブラハムの悔い改めの礼拝だったのです。そしてこれが、その後の

一族の祝福となりました。


                       (Aug,22,2010)