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2011.9.4
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         三つの偉大なるもの

 

『わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月
と星とを見て思います。人は何者なので、これをみ心にとめられる
のですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか』。                            (詩篇8篇3〜4節)

 

 この詩は、神の創造の偉大さと、それに比べていと小さな人間
をも顧みてくださる神の愛をうたったものです。そしてこの詩篇
が一般にも有名になったのは、1969年(昭和44年)6月の宇宙
船アポロ号11号が人類初めて月世界に到達をしたときでした。

 

 このときヒューストン宇宙センターは、アームストロング船長
の月世界から発信してくるメッセージを待ちました。彼らは月世
界を征服した人類の叡知を高らかにほめたたえる言葉を期待した
のです。ところがアームストロング船長の言葉を聞きながら、
『あれ』どこかで聞いたような言葉だと思いましたが、しばらく
して聖書の御言葉であることに気がついたのです。

 

 アームストロング船長は月面に到達して宇宙をかいま見たとき、
神が創造した宇宙の広大さに感動をしたのです。そして、それに
比べて人間の小ささを思い、その小さな人間を顧みてくださる神
の愛を知って感動したからです。このアームストロング船長は後
に神学校で学び、神の愛を伝える伝道者となりました。

 

 ある人が『人間を大成させる三つのもの』と題して論文を書い
ておられますが、その一つは「偉大な自然に接すること」。第二
は「偉大な書物に接すること」。そして第三は「偉大なる人物に
接すること」と書いてありました。

 

 たしかに偉大なる自然に接することは大切なことです。わたし
たちは都会の中でビルに囲まれて自然界とはまったく関係のない
生活をしていることが多いのですが、ときには郊外に出て、

また山に登って大自然に接することも大切なことです。そして神
の創造された大自然に接して、その雄大さにくらべて人間の小さ
さ、無力さを知って謙虚な人間となるのです。

 

 

わたしのお世話になった神学校の校長、金井為一郎先生は第一
高等学校(一高、いまの東大)の学生のとき、ある夏休みに北ア
ルプスを登山しました。そこで激しい落雷に遭遇して命の危険に
さらされました。そして一命を得た先生はこの神秘体験をとおし
て感じるところがあり、一高をやめて神学校に入り牧師になられ
たのです。それほど偉大なる自然に接することは神の偉大さを知
り、人間に謙虚さを与えるものなのです。

 

次に『偉大なる書物に接すること』ですが、世の中にはたくさ
んの書物が氾濫しています。そしてどれもが自分こそ真理である
といわんばかりです。しかし、もっとも偉大なる書物は聖書です。
聖書は神の霊感によって書かれた普遍的真理であるからです。普
遍的真理とは、時代が変わっても永遠に変わることのない真理で
あります。そしてわたしたちが手にしている新約聖書は、今から
二千年ほど前に神の霊感によって書かれた書物であり、二千年後
の今日でも通用する普遍的真理なのです。そしてまた、これから
千年、また二千年後も変わることなく通用する真理なのです。

 

アメリカでアンケートをとった結果をある雑誌に掲載してあり
ました。それによると、「これから一年間宇宙旅行に行くことに
なったとする、重量制限のために宇宙船に持ち込める書物は一冊
だけだとすると、あなたはどんな書物を選びますか」、という問
いでした。それに対して90パーセント余りの人が「聖書」と答え
たそうです。なかには百科事典と答えた人もあったそうですが、
多くの人が聖書を選んだのは、さすがにアメリカ人ですね。わた
したちも聖書を座右の銘として日々聖書に親しみ、聖書の御言葉
によって恵まれた豊かな人生を送りたいものです。

 

最後に、人が大成するためには『偉大なる人物に接すること』
について話します。皆様もこれまでの生涯で、自分が大変影響を
受けたという人物に出会ったことがあると思います。またそんな
人はしあわせな人です。そしてその人を『恩師』としていつまで
も尊敬して忘れることはできません。

 

しかし、わたしたちクリスチャンにとってほんとうに偉大なる
人物はイエス・キリストです。このイエス・キリストとはわたし
たちは直接にお会いしたことはありませんが、聖書を通してその
人物像を知ることができます。このお方は今から約二千年ほど前
に登場した人物です。この人は『神の子』なる天のみ位を捨てて
人となってこの世に降ってくださいました。

 

そして人々に愛と救いの福音を伝え、貧しい者、行き詰まった
人たち、罪人として誰からも顧みられない人々を救われたのです。
そして最後には人類の罪の贖いを完成するために十字架にかかっ
て死んでくださったのです。このイエス・キリストを信ずるとき
にわたしたちの罪が贖われ、神の子として永遠の生命が与えられ
たのです。このイエス・キリストこそ人類の救い主(救世主)で
あります。教会に来て、また聖書を通してこのイエス・キリスト
に出会えた人は最高にさいわいな人と言っても決して過言ではあ
りません。『あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた
月と星とを見て思います。人は何者なので・・・』。                                            
                      (sep,04,2011)