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2010.9.26
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祈りとさんびのちから

 

『真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌い

つづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。ところが

突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち

開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった』。

(使徒行伝1625)

 

 今日はこのところを通して『祈りとさんびの力』についてお話

をします。この出来事はパウロたちの『第二回伝道旅行』の最中

の出来事でした。パウロとシラスはピリピの町で伝道しましたが、

そのとき占いの霊につかれた女性を救ったところが、生計の道が

なくなった親分から訴えられて獄中の人となりました。彼らに

とっては何ら訴えられるような身に覚えがありませんでした。

でも彼らはこれぐらいのことでは挫けません。

 

 その獄中でパウロとシラスは大声で神に祈り讃美をしていたの

です。すると同じ獄中の囚人たちも、いつもと違う光景に耳を

澄まして聞きいっていました。なぜなら、いつもなら、こんな

ひどい目に合わせた相手を罵り、怒りの声が聞こえてくるのに、

今まで聞いたことのない彼らの祈りと讃美だったからです。祈る

ところに、また讃美するところには神が臨在するので、慰めと

希望があり、平安が与えられるものなのです。

 

 この出来事で囚人たちにも驚くべき変化が起こりました。それは

大地震が起こり、監房の扉がみな開き、囚人の鎖までが解けてしま

ったのに、だれひとり逃げ出す者はいなかったのです。それを見た

獄吏までがパウロに導かれて救われたのです。

 

 テサロニケ前書516節に『いつも喜んでいなさい。絶えず

祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい』とありますが、

どんなときでも祈れる人はさいわいです。何故なら、祈るところ

に神が臨在してくださるからです。

 

 またいつも讃美できる人はさいわいです。主は讃美する人と

共にいて励まし、慰め、力を与えてくださるからです。ですから、

どんなに苦しい思いをするときでも、悲しいときでも神に讃美

するならば、神はその人と共にいて、どんな逆境からでも救い

出してくださるからです。

 

 歴代志下2021節『主に向かって歌をうたい、かつさんびさせ、

「主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」

と言わせた。そして彼らが歌をうたい、さんびし始めた時、主は

伏兵を設け、かのユダに攻めてきたアンモン、モアブ、セイル山

の人々に向かわせられたので、彼らは打ち敗られた』。

 

 これは南ユダのヨシャパテ王のところに、モアブ、アンモン、

メウニの連合軍が攻めてきたときのことです。この知らせを知った

王は『主に顔を向けて助けを求め』たのです。南ユダには116万の

軍事力がありましたから連合軍と互角に戦えたと思いますが、

ヨシャパテ王はそんな軍事力に頼らないで神を信頼したのです。

 

 そして王の祈りの言葉が5節以下にありますが、その最後に、

『われわれはこのように攻めてくる大軍に当たる力がなく、また

いかになすべきかを知りません。ただ、あなたを仰ぎ望むのみ

です』。とへりくだって神の救いを求めたのです。

 

 そして、『ヨシャパテは立って言った、「ユダの人々および

エルサレムの民よ、わたしに聞きなさい。あなたがたの神、

主を信じなさい。そうすればあなたがたは堅く立つことが

できる。主の預言者を信じなさい。そうすればあなたがたは

成功するでしょう』と激励をして、軍隊を動員して敵の前で

さんびをさせたのです。すると神は『主の伏兵』を用いて

連合軍を打ち敗られたのです。柘植不知人先生は『讃美と

感謝は信者の両翼である』と言われましたが、どんなとき

でも主を見上げてさんびをするならば、主は局面を勝利に

変えてくださいます。

 

 1989年にフィリピンのマニラで『世界伝道会議』が開かれ

ました。世界94カ国から5000人の牧師、宣教師が集まり、

二週間に及ぶ会議でした。私も日本代表の50人のひとりと

して参加しましたが、世界のその後の歴史に関わる有意義な

伝道会議でした。まだ東欧の共産主義支配から開放前でした

から、共産圏からも、またイスラム圏からも、たくさんの牧師

たちが身の危険を覚悟で参加していました。

 

 その中でも、ソ連から出席した50名ほどの牧師がステージ

に上がって力強く讃美をしているのには感動しました。まだ

ソ連崩壊前の出来事でした。また、中国から出席をした

『家の教会』の牧師が証しをしていました。中国には

『政府公認教会』と『家の教会』があり、公認教会は政府の

監視下にあり、中国政府の意にそう活動しかできないそうです

が、『家の教会』は地下に潜った教会で堂々と福音が語られる

ところです。ですから政府は非公認の教会を探索し弾圧をして

いるそうです。

 

 その牧師も、そのため捕らえられて10年間ほど獄中に入れられ

ていました。聖書も讃美歌も一切の私物を取り上げられました。

しかし、覚えていたみ言葉を思い出して、それで慰められたそう

です。ところが、労働をするのですが、その先生はいつも囚人たち

の使っている便所掃除を命じられていたそうです。しかも便槽に

腰まで浸かって汲み上げるのがいちばん辛い労働だったそうです。

そのときは大きな声で讃美歌をうたいながら働いた、と話していま

した。つまり讃美歌がその人にとって大きな力だったのです。

 

 この『伝道会議』が6月でしたが、その秋にルーマニアの

共産党支配が崩壊してしまいました。これを契機に次々と東欧

の共産主義支配の国がドミノ倒しのように崩壊していきました。

そしてまた1990年にはベルリンの壁が破られて東西ドイツが

統一され、1991年にはソビエト連邦が解体されて『ロシア』

となり、東西の冷戦が終結しました。このことをみるとき、

あの『世界伝道会議』は何か神の摂理的なものを感じさせられ

ます。

 

 1995年に忘れることのできない『阪神大震災』が発生しました。

そして新聞には『神戸崩壊』と大きな見出しでニュースが掲載され

るほどの事件で、わたしたちにとっては忘れることのできない

出来事でした。自転車に乗って市内の教会員を訪問して行くときに

その行く先々に悲惨な光景を目にし、涙なくしては走ることはでき

ませんでした。

 

 そんなときに、ふと思い出したのが普段、教会の若者たちが

歌っていたプレイズの歌でした。『主はいま生きておられる、

わが内におられる。すべては主のみ手にあり、あすを生きよう、

主がおられる』。この歌を繰り返しうたいながら崩壊した瓦礫の

町を走ったものでした。つまり、いちばんたいへんなときに、

この歌がわたしを慰めてくれたのです。

 

どうぞ皆様も、たいへんなとき、悲しいとき、困難なときに

讃美歌で慰められ、勇気を与えられてください。わたしたちは

教会に来て讃美歌を歌いますが、10年も20年も教会に来て

いますと、さほど感激もなく習慣的に讃美歌をうたっていますが、

讃美歌は神を崇める潔い歌なのです。それを慣れっこになり、

何も考えないで習慣的に歌っていますが、どうぞ讃美歌の歌詞を

よく考えながら歌ってください。きっと大きな感動が与えられ

恵まれることは間違いありません。

 

昔、まだテレビのないころの話です。日曜日の『素人のど自慢』

で若い女性がふたりで讃美歌をうたっていましたが、子供ながら

なにか場違いな感じがしました。(そんな所で歌ってはいけないと

いう意味ではありませんが)。また、ある人の結婚式の披露宴で、

仲人(この人はクリスチャンでしたが)が、わたしに『先生、

ここでなにか讃美歌をうたってください』としつこく要求

されたことがありました。しかし讃美歌はそんな酒席で

歌うものではないと思っていましたので、最後まで断った

ことがありました。どうぞ一語一語かみしめながら、

わたしたちの『信仰告白』として讃美をしたいものです。

         (Sep,26,2010)