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2010.1.1
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福音にふさわしく


『あなたがたは、キリストの福音にふさわしく生活しなさい』
                   (ピリピ書1章27節)

これが山手教会に与えられた新年標語です。この御言葉のもとに一年間の信仰生活を
励んでいきたいものです。
 さて、ここに『キリストの福音』とありますが、これはイエスの十字架の贖いいに
よって罪が赦されたもののことです。つまりわかりやすく言えば『クリスチャン』
のことです。
この一年間クリスチャンの自覚をもって恵まれた信仰生活の一年とされたいものです。

クリスチャンもこの世の人たちと同じ土壌の上で生活し、同じ空気を吸い同じような
衣服を着て、また同じような食事をして生きていますが目に見えないところで著しく
異なるところがあります。 そして、クリスチャンの生活はこの世の人たちから、
何かにつけて判断の基準にされることがあります。倫理道徳の規範とされ、また判断
基準の物差しとされることがあります。ある会社で一つの問題で社内で意見が異
なり、収拾がつかなくなりました。そのとき社長は「君はクリスチャンだったな、
こんな場合はクリスチャンはどう解決するか」と聞かれましたので、彼は自分の信仰
の立場から信ずるところを具申しましたところ社長は「うん、それでいこう」と決定
してしまったのです。それは社長はクリスチャンの生きざまを信じていたからです。

 今から60年前に、日本は『日米安保条約改正』という大きな問題を掲げました。
そしてそれに反対する人たちは連日連夜のように国会議事堂の周辺に集まり、壮烈な
デモを繰り返したのです。しかし、時間切れで『日米安保条約』は自然成立をしたの
ですが、そのときに国会のある委員会で社会党の代議士が岸総理大臣に対して、つぎ
のように発言をして詰め寄っているのを見ました。「岸総理、この条約改正に対して
はクリスチャンの人たちでも反対しているのをご存知ですか」と。
わたしはこのニュースを見たとき「クリスチャンでも」という発言に対して、こん
な大事な場面でクリスチャンの存在が判断基準とされていることに慄然としました。

また、20年ほど前に日本中を震撼させる事件がありました。それはエイズといる問題
でした。このことが公表されたとき、身に覚えのある人たちは真っ青になって保健所
に駆け込んだと言われます。ところが、そんなとき、あるテレビ番組で数人の有職者
がこの問題について対談をしていましたが、その中のひとりが「これからはクリス
チャンのような真面目な生き方をしなければなりませんね」という発言を聞いたとき、
このときも身がしまるような思いがしました。

つまりクリスチャンの生き方が倫理道徳の基準とされたからです。
 では、なぜクリスチャンの生き方がこの世の良識ある人たちから認められているの
でしょうか。それはクリスチャンの信仰は『潔め』であり、潔い生活をしているから
です。
 テサロニケ前書4章3節に『神のみこころは、あなたがたが清くなることである』
とあります。またペテロ前書1章15節にも、『むしろ、あなたがたを召してくださっ
た聖なるかたにならってあなたがた自信も、あらゆる行いによって聖なる者になりな
さい。聖書に「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきで
ある」と書いてあるからである』とあります。「この聖書に」とはレビ記11章45節
のことです。 つまり、わたしたちが信じる神は『聖なる神』であります。
そして信じる者を神の御心に適う聖なる者としてくださるのです。
そしてこの聖なる者だけが天国に入ることがゆるされるのです。

 この頃は簡単にクリスチャンでなくても、どんな人でも死んだら「天国に行った」
というようになりましたが、天国とはだれでも死んだからといって簡単に行けるとこ
ろではありません。天国は罪が贖われた聖徒だけが入ることがゆるされるところです。
ですから、『天国』という言葉をあまり安売りしないでほしいものです。ある時、
有名な女優さんの葬式がニュース番組で放映されていました。
お坊さんが読経しているうしろで、友人が弔辞を述べていました。そして最後に
「安らかに天国で憩うてください」と読んだとき、一瞬お坊さんの読経が途絶えた
ように感じましたが、それは私だけだったでしょうか。
 話を戻しますが、イエス・キリストの十字架の贖いによって罪赦されたクリスチャ
ンは神の『聖なる民』です。そして聖書のように神が聖なる方であるから、わたし
たちも聖なる生き方を求めておられるのです。
ですから、わたしたちは神を信じ、神を畏れて聖なる敬虔な生き方をするならば、
神はまたわたしたちを愛して、聖なるものとしてくださるのです。
 『あなたがたはキリストの福音にふさわしい生活をしなさい』
との新年標語のように、この一年間、清められたクリスチャンらしい生き方をして
いきたいものです。
皆様のこの一年間が神の恵み豊かな時となりますように祈ります。

Jan.1.2010)