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2010.10.17
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受けるよりも与えるほうが・・・




『また「受けるよりは与える方が、さいわいである」と言われた

主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示し

たのである』。             (使徒行伝2035節)

 

 今日は上記のテーマについて話します。その前に、17節から35

節までは、パウロがエペソの地で三年間伝道をし、そこを去るとき

にその地の教会の長老をミレトに集めてした決別の説教です。そし

て、その最後に『受けるよりは与える方が、さいわいである』とい

う言葉でその話を閉じているのです。そしてそこに『と言われた

主イエスの言葉を記憶しているべきことを…』とありますが、

この言葉は、イエスの生涯と働きを記した四つの福音書のなかには

見当た
りませんので、聖典の編纂のときに漏れた外典の中にあるのか、

の言葉があまりにも有名だったので、誰もが当然として受けとめて

いた言葉ではないかと推察されています。しかし、キリスト教の

福音はこのみ言葉のとおりで、神は愛をもって与える人を恵んで

くださるのです。

 

 パレスティナ(イスラエル)の地には『ガリラヤ湖』と『死海』

という二つの湖があります。そしてその間をヨルダン川が結んで

いるは自明のことです。ところが上流のガリラヤ湖は魚の豊富な

湖で、後にイエスの弟子になったペテロ(旧姓シモン)たちも

この湖の漁師でした。他方、下方の死海は生き物が全く生存しな

い死んだ湖なので『死の海』といわれたのです。

 

 なぜ、一本の川で結ばれている湖なのに、一方は豊富な魚の

穫れる湖が死の海になったのでしょうか。実は、死海の塩分濃度

が非常に高いからです。因みに地中海の塩分濃度が3%であるの

に比べて死海の塩分濃度は23%と7倍以上に高いのです。ですから

魚類も住めないのです。

 

 では、どうしてそんな濃度の高い湖になったのかといえば、

ガリラヤ湖から流れでる湖水がヨルダン川を下るうちに岩塩を

含んだ層をとおり、塩分を含んだ水となって死海に注いだから

です。そして死海は地中海より水深が深いために外に排出する

川はなく、死海に溜まるばかりになり水分は太陽によって蒸発

をするために、塩分だけが残されてますます塩分濃度が濃くな

ってしまったのです。ですから、今でも死海のほとりには真っ白

な塩の山が積み上げられています。

 

 ガリラヤ湖は魚が豊富な湖なのに、どうして死海は死んだよう

な湖なのでしょうか。それは、ガリラヤ湖は山から流れて注がれた

水をどんどんと外に排出をしているからです。ですから湖の水は

いつも新鮮で豊富な魚の宝庫となっているのに、死海は上流から

水を受け入れるだけで、外に排出をしないからです。これはまさ

しく聖書の言葉のとおりです。つまり、ガリラヤ湖は外に与える

湖で、死海は外から受けるばかりの湖なのです。『受けるよりは

与えるほうがさいわいである』とのみ言葉の意味をこのことから

してもよく分かることです。

 

 わたしたちは誰でも、いただくことは嬉しいものです。人から

物をいただいて嬉しくない人はよほどのへそ曲がりです。でも、

人に与えるほうがもっと心が豊かになり、しあわせを感じるのでは

ありませんか。皆様も受ける立場になるばかりか、与える立場の人

になってください。神はそんな人を愛してくださいます。またそんな

人をますます恵んでくださるのです。コリント後書96節に、

『少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、

豊かに刈り取る』とあります。このみ言葉のように、神は喜んで

施す人を愛してくださいます。

 

 1995年(平成7年)に『阪神大震災』が勃発しました。そして

わたしたちの神戸も壊滅的な打撃を受けました。ある新聞の一面の

見出しには『神戸崩壊』という恐ろしい文字で書かれていました。

電気、水道、ガスといったあらゆるライフラインが断たれ、その上

すべての交通手段が遮断されて外部との交通手段もなく、食糧も

なくまったく陸の孤島に取り残されたような状態でした。

 

 その情報を知った『活水の群』の教会、信徒の皆様から、毎日

のように郵便局の配達の人が現金封筒を束にして届けてくれまし

た。十日ほどしてそれを開封してみたら、全部で三百万円ほど

ありましたので、それを机の上に積み上げて神に感謝しました。

「神さま、この人たちを豊かに祝福してください。これで教会

を修復しますから…」と祈っていたときに、神から示されました。

「それで全壊の人を見舞ってあげなさい」と。そこで教会員で

全壊の人を調べてみますと、ちょうど30人おられましたので、

10万円づつ現金封筒にいれて、「これは活水の教会と信徒の皆様

から送られたお見舞いです。元気を出してください」と手紙を

添えて発送しました。そして、その後で「神様、あなたの言われる

とおりに皆さんに送りました。教会の修復はあなたの責任ですよ」

と祈りました。

 

 それから三日ほどして保険会社の代理店の人が来られて「被害

の査定にきますから」と言ってこられたのです。そこでわたしは

火災保険には入っているのに、どうして地震保険がでるのかなと

保険証書をみると『地震特約』と書いてありました。わたしたち

は知らないうちに地震保険に入っていたのです。それからまた三日

後に保険会社の人が査定に来られ、「半壊と査定します。保険金は

480万円でます」と言って帰られました。そこでわたしは神に

感謝しました。神の言葉に従って三百万円を皆様に送ったら、神は

480万円にして返してくださったと。ところがそれからまた

数日後に、保険会社から電話があり、「半壊と査定しましたが、

ご近所があまりにも酷いので変更いたします」と。

 

 わたしはその電話を複雑な思いで聞いていました。それは近所

の被害と比べたら教会はまだ倒壊もしていないので、と保険金額

を値切られるではないかと。すると電話の向こうの人は「近所の

被害があまり大きいので、教会も全壊と判定します。960万円

を差し上げます」と言ったのです。それを聞いて驚きました。神は

3百万円を9百60万円にして返してくださったのです。まさしく

『受けるよりは与えるほうがさいわいである』です。

 

 その後も各地の団体や教会、信徒の皆さんからたくさんのお見舞い

をいただきましたので、教会は以前よりも綺麗な教会として修復
する

ことができました。そして、その費用も二千数百万円かかりましたのに、

皆様のお見舞いによって賄われたのです。

 

 震災から最初の日曜日の早朝、播州の親戚の人が小型自動車の

荷台に一杯の食糧を積んできてくれました。そのときわたしたちは、

これで十名の家族が一週間食べていけると喜びました。ところが

礼拝の説教をしているときに神から示されたのは、「今朝いただいた

食料をこの人たちに食べてもらいなさい」という声です。そこで

礼拝後にテーブルを出して、いただいた食料を全部並べて食べて

いただきました。皆さんは「こんな煮炊きしたものは震災後、

はじめて食べる」と言って喜んでくれました。

 

 ところが、その翌日からまた救援物資がどしどしと届くのです。

そして一週間後には、そのときは60人の礼拝にまで回復をして

いましたが、その人たち皆に行き届くように満たされていたので

す。震災後で、帰る途中はレストランも飲食店も開いてはいません

でしたので、この給食を皆さんは大変喜んでくださいました。

 

 その次の礼拝は80人となりましたが、また一週間の間に必要な

物資が各地から届けられるのです。なかには「これを山手教会に

届けるように言われました」と名前も知らない人からも届けられる

のです。このようにして神は三ヶ月の間、教会と信徒の皆様を

不思議に養ってくださいました。そして復活祭の日は皆様の持ち

寄りの食事会をして終了しましたが、まさしく『受けるよりは

与えるほうが、さいわいである』というみ言葉の通りに神はして

くださったのです。            (Oct,17,2010