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2011.10.23
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妬みこころを聖別せよ

 

『人は栄華のうちに長くとどまることはできない、滅びうせる獣にひとしい』。

『人が富を得るときも、その家の栄えが増し加わるときも、恐れてはならない。彼が死ぬときは何ひとつ携え行くことができず、その栄えも彼に従って下って行くことはないからである』。   

(詩篇4912節、16節)

 

 

 今日は「クリスチャンは妬みこころを聖別されなければならない」ということについて話します。また「他人のしあわせを妬んではならない」ということも話します。

 

 よく、わたしたちは神を畏れ、神を信じて真面目に生きていのに、あまりいいことがないのに、神を畏れず、勝手気ままなことをしている人が栄えている現実をみて、ほんとうに神は「正義の神」なのかと疑問をいだくことがあります。それに対して答えたのが12節、16節のみ言葉なのです。つまり、いまはどんなに栄えていても、結局は獣のように滅び失せ、青菜のように萎れてしまうというのです。

 

 詩篇371節には『悪をなす者のゆえに、心を悩ますな、不義を行う者のゆえにねたみを起こすな。彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである』とあります。

 

 先週は世界の歴史を変革するような出来事が起こりました。それはリビアのカダフィ大佐が捕えられたというニュースでした。しかも、農業用水の排水管の中に隠れているところを捕えられて、護送中に死んだ(殺された)ということです。41年間もリビアを強権で支配した独裁者の最後にしては、あまりにも惨めな最後ではありませんか。

 

 またイラクのフセインの最後もそうでした。彼も郊外の農家の物置小屋の地下に潜んでいたのを発見されて確保されましたが、その映像は独裁者らしからぬ惨めな姿で、むしろ哀れさえ感じました。『彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである』とあるとおりです。ですから、人の栄えているのをみて妬んではなりません。彼らの最後は滅びだからです。

 

 今から23年前にフィリピンのマニラで『世界伝道会議』が開かれました。世界94か国から5,000人の牧師、宣教師が集まり、10日間余りの有意義な会議でしたが、その会議の合間を縫って、「マラカニアン宮殿」を見学しました。これはマルコス大統領が追放されて海外に逃亡するまで、政務を行っていた居館で、政変後に観光客に開放していたのです。その目的はマルコスたちがいかに贅沢な生活をしていたかを示すプロパガンダ(政治宣伝)だったのです。その豪華絢爛な生活をみて権力者の姿を、かいま見た気がしました。しかし、その最後は実に惨めなものでした。亡命するときは着の身着のままで、二千足の靴も先着のドレスも残したままでした。これが独裁者の最後の姿なのです。17節に『彼が死ぬときは、なにひとつ携えていくことはできない』とあるとおりでした。だから人の栄えを見て妬んではなりません。

 

 箴言1430節に『ねたみは骨の腐りなり』(文語)とありますが、妬みは心の癌ですから、こんなものをもっていたら人間は滅んでしまいます。ですから聖霊によって聖別されなければなりません。イエスを十字架にかけたのもユダヤ人の妬みだったのです。マタイ福音書2718節には『彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることがピラトにはよくわかっていたからである』とあります。エルサレムの神殿に仕える祭司たちは、今までは自分たちが祭儀の中心でしたが、イエスの出現により民衆の歓心はイエスに向いたために面白くなくなりました。そこで自分たちの立場を守るためにイエスを排除しようとしたのです。

 

 使徒行伝にも、自分たちの妬みのために、せっかくもたらされた恵みを失った話があります。1344節『次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の言を聞きに集まってきた。するとユダヤ人はその群衆をねたましく思い、パウロの語ることに口ぎたなく反対した』。これはパウロとシラスの二回目の海外伝道旅行のときの事でした。彼らはアンテオケという町で伝道をしたところが、ほとんど全市をあげてパウロの説教を聞きに集まっているのを見て、ユダヤ教の指導者たちは妬み、パウロたちを町から追い出したのです。そこで彼らは『わたしたちはこれから方向を変えて異邦人たちの方に行く』といって、隣の町イコニウムで伝道をしたところがユダヤ人やギリシャたちが大ぜい信じた』のです。

 

 このところで教えられることは、せっかくアンテオケに福音がもたらされたのに、彼らの妬みのために恵みを失ったということです。そしてこのアンテオケは11章に登場する、町の人たちから「クリスチャン」と呼ばれたアンテオケではなく、ガラテア地方の同名の町です。

Oct,23,2011