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2011.10.30
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神に近くあること

 

『見よ、あなたに遠い者は滅びる。あなたは、あなたに
そむく者を滅ぼされる。しかし神に近くあることはわた
しに良いことである。わたしは主なる神をわが避け所と
して、あなたのもろもろのみわざを宣べ伝えるであろう』。

                    (詩篇73篇27-28節)

 

 神に近づくことの恵みについて話します。「神に近づ
く」ということは教会に来てご臨在に近づくことです。
教会は神が臨在なさっておられるところです。そして神
に近づくことに大きな恵みが与えられるのです。ヤコブ
の手紙48節にも、『神に近づきなさい、そうすれば、
神はあなたがたに近づいてくださる』とあります。そこ
で今日は臨在に近づくことの恵みについて三つの点から
話します。

 

 まず第一に、「臨在のあるところには慰めがある」と
いうことです。わたしたちが寂しいとき、また悲しさを
覚えるときに、教会にきて神に近づくときに慰めを受け
るのです。長野県の茅野という町に教会があり神学校を
出たばかりの若い牧師が赴任しました。ある日のこと外
から帰ってみると、教会の玄関の前にお婆さんがうずく
まっているのです。誰だろうと近づいてみると教会員の
お婆さんで、手を合わせて屋根の上の十字架を見上げて
祈っていたのです。牧師は門を開けてお婆さんを中に入
れましたが「先生は留守が多いでなぁ」と言って講壇の
前で祈っていました。

 

 そのお婆さんは家のなかでいろいろと問題があるよう
で、辛い思い、悲しい思いをしたときには、いつも教会
に来て祈っていたようです。そして牧師が留守で門が閉
まっているときはいつも門の前で祈っていたことを知っ
たのです。つまり、お婆さんは臨在に近づくことで神か
ら慰めを得ていたのです。

 

 第二は、「神の臨在のあるところには祝福がある」と
いうことです。そのいい例はサムエル記下6章にありま
す。『神の箱はガテびとオベデエドムの家に三ヶ月とど
まった。主はオベデエドムと全家を祝福された』とあり
ます。これはダビデ王がエルサレムを都として、ここに
幕屋を迎えて王家とイスラエルの繁栄を得ようとしまし
た。そして神の箱を都に運んでいるときに事件が起こり
ました。牛車が石に乗り上げて倒れそうになりましたの
で、側で警護をしていたウザが手を差し伸べて支えまし
た。そのために転倒は守られましたが、ウザは神の怒り
にふえて撃たれて死んでしまったのです。神の箱を守っ
たウザが撃たれるなんて理不尽に思えるかもしれません
が、神の箱は祭司しか触れることが許されない神聖なも
のだったのです。それをとっさとはいえ触れたので撃た
れたのです。

 

 神の怒りを恐れたダビデ王は神の箱をエルサレムに運
ぶことを中止し、近くに住んでいた祭司オベデエドムの
家に預けました。ところがその家がたいへん祝福された
というのです。それは神の臨在がその家にあったからで
す。皆さんの家庭の中に神の臨在があるなら家庭が祝福
されますから、その家庭の中で神を礼拝し、賛美をささ
げてください。神はその中に臨在してくださいます。恵
まれたクリスチャンは教会で礼拝をするだけでなく家庭
でも礼拝する人です。その反面に、家庭の中に臨在を失
うなら、その家庭は争いが絶えないところとなってしま
います。

 

 第三に、「臨在のあるところには癒しがある」という
ことについて話します。出エジプト記1526節に『わ
たしは主であって、あなたをいやすものである』とあり
ます。また『わが臨在、汝を癒せり』ともあります。こ
のみ言葉のように臨在のあるところに癒しがあるのです
から、病気のときも信仰をもって臨在に近づいてくださ
い。聖霊が癒してくださいます。

 

 こんな話があります。ある信者がひとりの青年を教会
に連れてきて、「先生、この青年のために祈ってくださ
い。彼は強度の不眠症なんです」。そこで話を聞くとも
う何日も会社を休んでいるということで、これ以上休ん
だら会社を首になると考えると、ますます眠れなくなる
ということでした。そこで牧師がその青年の頭に手を置
いて「わが臨在、汝を癒せり」と祈りました。

 

 そのとき教会では祈り会をしていました。青年は「あ
れは何をしているのですか」と聞きますので、「お祈り
をしているのです。あなたも一緒に祈りなさい」と言う
と、青年も祈りの輪の中に入りましたが、はじめてのこ
とでどうしていいかわからず、ただ皆の真似をして頭を
振っていましたが、一時間ほどして「先生、眠くてたま
りません。すこし横にならせてください」と言いました
ので、牧師は「あなたは不眠症のために眠られないので
はありませんか。もう少し我慢をしなさい」と言うと、
「はい」と言って再び祈りの輪の中に入っていきました。

 

 それから一時間ほどしてその青年は、「先生、もう我
慢ができません。ぶっ倒れそうです。少し寝させてくだ
さい」と言いましたので、「では、オルガンの隅で横に
なりなさい」と言うと、大きなイビキをゴウゴウとかい
て一時間ほど寝ていました。そしてすっきりした顔で起
きてきましたが、それきり頑固な不眠症は癒され、次の
日からまた会社に戻ることが出来たのです。これは青年
が神の臨在に触れたからです。マタイによる福音書9
12年間も病んだ女性が癒された記事がありますが、
これも臨在に近づいたからです。最後に、ヘブル人への
手紙416節『だから、わたしたたちは、…はばかるこ
となく恵みの御座に近づこうではないか』とあります。
信仰をもって臨在に近づこうではありませんか。                           (Oct,30,2011