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2010.1.10
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直ぐに受け入れたマリア


『「神にはなんでもできないことはありません」。そこでマリヤが言った、
「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。
そして御使は彼女から離れて行った』。  (ルカ福音書137節)

 

 これは御使がマリヤに対して『受胎告知』をしたところです。しかし、
これはマリヤにとって大きな犠牲を強いることでした。何故なら、彼女は
ヨセフという人と婚約はしていましたが、まだ結婚をしていませんでした
から、もしマリヤが妊娠をしたとなるとヨセフは言うにおよばず、町の人
たちから「悪い女だ」「ふしだらな女だ」とどんな誤解を受けるかも知れ
ません。また当時はこんな場合は石で撃ち殺されることさえありました。

 

 しかしマリヤは御使の言葉を聞いているうちに、神のみ旨を知って
『わたしは主のはしためです。お言葉どおりにこの身になりますように』
と従ったのです。そして、そのマリヤをとおしてイエスが誕生し、
『イエスの母マリヤ』として今日でもクリスチャンの間で大切にされて
いるのです。(「聖母マリヤ」という言葉はカトリック教会での表現で、
プロテスタントでは「聖母」という言葉は使いません。『イエスの母』
という言葉を使います。

 

 これはマリヤが、御使の言葉を聞いたとき、それが神のみ旨であることを
知り、彼女は『わたしは主のはしためです。お言葉どおりにこの身に成り
ますように』と自分の立場を捨てて、即座に従うことができたのです。
このように、いつの時代でも、神の御心を知ったとき、即座に従う人は恵み
を受けるのです。

 

 マタイ福音書4章にイエスから『わたしに従ってきなさい』と召命を受け
て、弟子になった4名の人が登場します。彼らはガリラヤ湖の漁師でした。
そこへイエスが現れ、まず最初にシモンとアンデレに『わたしについてき
なさい。あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう』と声を掛けられた
とき、『彼らは直ぐに網を捨ててイエスに従った』とあります。

 

 また、同じ漁師であるヤコブとその兄弟ヨハネに対して、同じように
『わたしに従ってきなさい』と招かれたとき、彼らは『直ぐ舟と父とを
おいて、イエスに従って行った』とあります。そして彼らはイエスの十二
弟子の中に加えられたのです。

 

 人間にはいろいろな思いや計画があります。でも神の御声がかかった
とき、『わが思いにあらず、主よ、御心を成したまえ』と神に従うことの
できる人は幸いです。そして、そんな人が神から尊く用いられるのです。

 

 創世記12章にアブラハムが神からの召しを受けたところがあります。
1節『ときに主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、
父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる
国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の
基となるであろう」』と神の召しをうけたとき、彼は『アブラムは主が
言われたようにいで立った』とあります。これは直ぐに従ったことを意味
します。

 

 また、ヘブル書118節には『信仰によってアブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむったとき、それに従い、行く先を知らないで
出て行った』とあります。このアブラハムの行動は神を信じた信仰による
行動でした。それだけ彼は信仰的に忠実であったのです。ですから、
アブラハムを祖として4千年の今日もイスラエル民族として繁栄している
のです。

 

 最後に、使徒行伝826節を見ると、ピリポの信仰的行動を見ることが
できます。彼はイエスから直接に選ばれた12使徒ではなく、イエスの召天
後の『初代エルサレム教会』の時代に7名の執事として選ばれた人です。
でも彼は『御霊と知恵に満たされた人』で、サマリヤ伝道をしておりまし
た。『ところが、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝
えるに及んで、男も女も信じてぞくぞくとバプテスマを受けた』と記され
ているように神の栄光が現れたのです。

 

 ところが26節を見ると、そのピリポを主の使がガザに下る道に遣わして
いるのです。しかもそのガザは「今は荒れ果てている」とあるほど、人々の
往来のない辺鄙な裏街道です。彼は今サマリヤ伝道でたいへんに用いられて
いる人でしたから、そのままサマリヤに留まり伝道を続けたら、もっと栄光
が現れることも想像されたのです。ところがピリポは聖霊と信仰に満たされ
た器ですからガザに下ることを示されたとき、直ぐに従ったのです。

 

 そして、そこで出会ったのがエチオピアの王に仕える宦官で、エルサレム
の神殿に参詣して国に帰る道中だったのです。そしてピリポはその人を導き
ましたので、彼は洗礼を受けて国に帰り伝道をしたので、エチオピアがキリ
スト教国となったのです。
これはピリポのガザでの伝道の結果だったのです。

 

 ここで教えられることは、ピリポが神の召しを受けたとき、彼も素直に
従ったことです。もしピリポがぐずぐずして一日延ばしていたら、エチオ
ピアの宦官も馬車で移動していましたので出会うことはありませんでした。
直ぐに従ったからよかったのです。

                                         (Jan.10.2010)