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2010.11.14
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こどもの心を大切に育てる。

 

『しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずか
せる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められ
る方が、その人の益になる』。    (マタイ福音書186節)


 今日は幼児祝福式の日ですから、それに因んでクリスチャンの
幼児の育て方についてお話をします。前掲のみ言葉はずいぶんと
厳しいことを言っていますが、それほど子供を育てることは親の
大切な責任なのです。そこで三つの方面から話します。

 まず第一は、子供を正しく育てることです。これは当たり前の
ことですが親の責任です。子供は自分が生んだので「自分の子供」
と思っている人が一般的ですが、わたしたちクリスチャンは「子供
は神からの預かりもの」なのです。ですから、神から託された子供
を正しく育てることがわたしたちの責任なのです。この正しいとは、
正しい信仰に導くということです。
 

 申命記6章4から7節に『イスラエルよ聞け、われわれの神、主は
唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、
あなたの神、主を愛さなければならない。きょう、わたしがあなたに
命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子ら
に教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、
起きる時も、これについて語らなければならない』とあります。

 これはユダヤ人の親の責任なのです。学校教育を受けさせたから、
これで親の責任を果たしたかのように思ってはなりません。自分たち
の信仰の後継者となってはじめて親の責任が果たせるのです。また、
箴言226節に『子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば
年老いても、それを離れることがない』とあります。「鉄は赤いうち
に打て」という格言がありますが、子供のときの宗教教育が大切なの
です。それがその人の生涯のバックボーンとなるからです。

 それを、まだ何もわからないから、教会に連れていっても騒ぐだけ
で皆様のご迷惑になるから、と言って躊躇する人がありますが、少々
騒いでもいいから小さなときから教会に連れてきて、ご臨在に近づけ
ることが大切です。バックストン先生は「子供はなにもわからないよ
うでも、ご臨在に近づけておれば聖霊は皮膚からでもはいる」といわ
れたのは有名な言葉です。

 第二は、子供の心を躓かせないように育てることが大切です。子供
の心は純真で疑うことを知りません。大人の言うことを素直にその通
りに信じるのです。ところが、よく子供をからかう大人がいます。
「お前は橋の下から拾ってきた子供だ」と。そんなことを聞いた子供
は真剣に悩むのです。子供は本気と冗談の区別がつかないからです。
実際、そう言われて悩んだ人を知っています。

 コロサイ書321節に『子供をいらだたせてはいけない。心がいじ
けるかも知れないから』とあります。どうぞ子供の心を大切に育てて
ください。最近「幼児虐待」のニュースがあとを絶ちません。随分と
残酷な社会になり変わってしまいました。これらのニュースを見聞き
するたびに心が暗くなります。しかし、幼児期に虐待を受けた子供は
生涯心に傷を受け、その子供が大人になったとき、こんどは子供を
虐待する親になると言われています。

 第三に、子供を親の感情の犠牲にしてはならない、ということです。
いらいらして子供に当たり散らす親がありますが、子供にとっては
迷惑なことです。あるテレビ番組を見ていましたら、これは黒柳徹子
さんのインタビュー番組でしたが、それに以前はシャンソン歌手だっ
た人が、料理研究家という肩書で登場していました。しばらくブラウ
ン管に登場しないなと思っていたら、結婚をして子育てをしていたそ
うです。その女性が子供の躾けについて話していました。子供の顔面
に癖ができていくら注意をしても治らないのです。そこで小児科に連
れていったところが、お母さんの話を聞いていた女医さんが、お母さ
んだけを隣の部屋に連れていって、「子供の顔面の癖の原因がわかり
ました。それはお母さん、あなたのガミガミです。これから
二か月の
間、どんなにいらいらしても決して何も言わないようにしなさい。
きっと子供の癖が治ります」と言われたそうです。精神的ストレスか
らきていると言うのです。それから、子供がのろまでいらいらしても
女医さんの言いつけを守って、ぐっと我慢をしていたら、「二か月も
たたない間に子供の癖が治った」と話していました。つまり、子供は
親の感情の犠牲になっていたのです。どうぞクリスチャンの母親は
子供を自分の感情の犠牲にしないようにしてください。そんなときは
平静な心が与えらえるように、よく祈ることが大切です。祈らないと
心が取り乱してしまうことがあるからです。
 

 ルカによる福音書10章に登場するベタニヤ村のマルタとマリヤの
姉妹の姉のマルタがよい例です。彼女は忙しさのあまり心を取り乱
してイエスに対して、『主よ、妹がわたしだけに接待をさせている
のを、なんともお思いになりませんか』と文句を言っています。こ
れこそ八つ当たりです。わたしたちもいつも祈って神と交わって、
心の平静さを保っていなければ、これと同じような醜態を起こしかね
ません。     (Nov,14,2010