本文へスキップ
2012.11.11
                                                      戻る

  
 


  霊 的 力 の 充 電 の と き

 

 

『イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしている
と知って、ただひとり、また山に退かれた』。
              (ヨハネによる福音書6章15節)


 五つのパンと二尾の魚で五千人を養われるという奇蹟に興奮
した群衆は、イエスを自分たちの王にしようという動きがあり
ました。そこで弟子たちをこの混乱に巻き込まれないように、
舟に乗り込ませて群衆から離し、ご自身は山に退かれました。
そのことはマタイ福音書14章23節を見るとよくわかります。

 『そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ
登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた』と
あります。これはイエスの神との交わり、祈りのときでした。
イエスでさえも神との霊的交わり(霊的力の充電のとき)を
大切にしておられたのです。ですから力強い働き、奇蹟を次ぎ
つぎとなさることができたのです。

 クリスチャンは祈りを大切にします。これは願い事をする
のではなく、神との霊的力(御霊)の充電のときです。そん
な人は力に満たされて力強く働くことができるのです。イザ
ヤ書40章31節には『しかし主を待ち望むものは新たなる力を
得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走って
も疲れることなく、歩いても弱ることはない』。とあります。

 わたしたちも力強い働き、生きかたをするためには、常に
神と交わり、霊的力を充電することが大切です。車を動かす
ためにはまずエンジンを始動させます。この力はバッテリー
にあります。ところがエンジンばかり動かしていたらバッテ
リーの力が失せて働かなくなってしまいます。ところが車は
うまく出来ていて、エンジンの回転を利用して発電している
のです。ですからいくらでもエンジンを始動することができ
るのです。

 宗教改革者として有名なマルチン・ルターは『忙しければ
忙しいほど、多くのとき祈りに費やさなければならない』と
言いました。これは「忙しい人ほど祈らなければならない」
という意味です。なぜなら忙しいときはこころが滅びるから
です。よく「忙しいので祈る暇がない」という人がいますが、
これは反対です。忙しいときは心が疲れるのです。そして
余計なことをして失敗をすることがあります。だから神と
交わり、御霊の力を充電することが大切なのです。

 聖書の中に、忙しさに疲れて失敗をした女性がいます。
それはベタニヤ村のマルタです。(ルカ福音書10章40節)。
イエスが突然に弟子たちを連れて来ましたので、マルタは
イエスたちをもてなそうとして台所で働きましたが、疲れて
いらいらしはじめました。(なにしろ13人の食事ですから)。
そこでふと気がつくと妹のマリヤがいないのです。どこに
いるのかと探してみるとイエスの側で話を聞いているのです。
その恍惚とした顔を見たときマルタは腹を立てました。そし
てイエスに「妹がわたしだけに接待をさせているのを、なん
ともお思いになりませんか」と、イエスに八つ当たりをした
のです。

 そのときイエスは「マルタよ、あなたは多くのことに心を
配って思い煩っている。しかし、なくてならぬものは多くは
ない。いや一つだけである。マリヤはその良い方を選んだの
である」とマリヤの行動を支持されたのです。つまり神と交
わることの大切さを言われたのです。
                   (Nov.11.2012)