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2010.12.19
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平和をもたらすために


『するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒
になって神をさんびして言った、「いと高きところでは、神に
栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があ
るように」       (ルカによる福音書21314節)




これは救い主イエスの降誕の夜、御使いたちが語ったメッセー
ジです。そしてこの中に『み心にかなう人に平和があるように』
とあるように、神の御心は世界人類が平和であることです。その
ために神は御子イエスを天の御位からこの世に送られたのです。
ローマ人への手紙1218節にも『あなたがたは、できる限りす
べての人と平和に過ごしなさい』とあります。



それなのに、なぜ世界に戦争、紛争が絶えないのでしょうか。
それは人間が罪人だからです。同じローマ書317節には『そし
て、彼らは平和の道を知らない。彼らの目の前には、神に対する
畏れがない』とあります。つまり人々の平和は人間が神を畏れ敬
うときに与えられるものなのです。言い換えれば、神に対して平和
である人が初めて人々に対して平和に過ごすことができるのです。



国際連合という機関があります。これは世界の平和と人類の福利
安寧を求める組織です。しかし、ある程度の国際紛争を調停をする
ことができても、残念なことに、恒久的な平和を生み出すことはで
きません。人類が神との平和を得てはじめて世界の平和が実現する
のです。


わたしたちに神との平和をもたらせるために、イエスは子なる神
という御位を捨てて地上に下ってくださったのです。エペソ書2
14
節に『キリストはわたしたちの平和であって』とあります。この
世に下ってくださったイエスが十字架にかかって死んでくださいま
した。そのときに流された血潮によってわたしたちの罪が贖われて
神の子とされたのです。ですからイエス・キリストを救い主として
信ずる者のみが、神に対して平和を得、また人々と平和に過ごすこ
とができるのです。



1950年(昭和25年)にイタリヤで作られた映画で『白い国境線』
という作品がありました。これは第二次世界大戦終結後の国際情勢
を背景に作られた映画です。ヨーロッパは自由主義国家と共産主義
国家の東西両陣営が対立して冷戦の構図となりました。ある国など
は国家が両陣営に分断されました。『白い国境線』とはこのときに
応急に白いペンキで引かれた国境線のことをいいます。



この国境線が引かれたことにより、今までのどかで平和だった村が
国境線を挟んでにらみ合うような状態となってしまったのです。こん
な場面がありました。片方の牛が(牛には国境はありませんので)、
国境線を越えて相手側に入ってしまいました。そこで持ち主は国境線
を越えて取り戻すこともできませんので、相手の人に「牛を返してく
れ」と頼みましたが、相手は「国境を越えたので、もうおれたちのも
のだ」と言って返してくれません。



また、いままで同じ学校で仲の良かった子供たちが、国境線を挟ん
で罵り合い、石を投げ合うような状態で、子供の世界にまで憎しみと
対立を生み出したのです。これを見て心を痛めた少年がありました。
そしてある晩、真夜中に家を抜け出して国境線の標識を抜いて「こん
なものがあるからいけないのだ」と言って谷底に投げ捨てたのです。



翌朝、標識が無くなっているのを知った大人たちは、「これは相手
方の陰謀だ」と言って、めいめい自宅から銃を持ち出して、国境線を
挟んでにらみ合いました。一触即発、もしどちらかから発砲したら紛
争が勃発しそうな雰囲気になりました。それを見た少年は、自分のし
たことの重大さに気がつき、また夜中に家を抜け出して、谷底に捨て
た標識を拾い上げて元のところに返そうとしました。



真夜中に標識を担いで歩いている姿は、まるでイエスが十字架を担
いでゴルゴダの丘を歩いている姿を彷彿させるものでした。ところが、
不思議な影をみた大人の人が怯えて発砲をしてしまいました。その一
発で少年は倒れ、その場で即死をしてしまいました。そして、朝にな
って少年の死体を発見した大人は、その少年の家に遺体を運び、うら
若い少年の死を悼みました。そこには国境線の向こうの大人たちも来
て一緒に悲しんだのです。そしてお互いに手を取り合って和解をした
のです。



少年の流した血潮によって人々は和解をすることができたのです。
この映画が描かれた目的は、東西両陣営の対立を和解させるものは、
イエス・キリストの流された血潮によるほかはない、ということを
主張したかったのです。



コロサイ書120節『その十字架の血によって平和をつくり、万物、
すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく彼によって
ご自分と和解させて下さったのである』    (Dec,19,2010)