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2011.12.25
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馬小屋に誕生したわけ

 

『神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るた
めである』。           (ヨハネ福音書316節)

 

 今日はクリスマスにまつわる二つの事について話します。その
一つは、クリスマスは神の愛が人類に注がれた日です。前掲の御
言葉に『神はその御子を賜わったほどに』とありますが、これは
人類に対する神の愛なのです。イエス・キリストは「子なる神」
なのです。人類を罪から救うために、しかも子なる神を十字架に
架けて人類の罪の贖いを完成するために、神の御子をこの世につ
かわしてくださったのですから、これにまさる愛はありません。

 

 ヨハネ第一書49節には『神はそのひとり子を世につかわし、
彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによっ
て、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。わた
したちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さっ
て、わたしたちの罪のために、あがないの供え物として御子をお
つかわしになった。ここに愛がある』とあります。

 

 次に、救い主イエスがベツレヘムの馬小屋に生まれたわけに
ついて話します。これは決して行きがかり上の出来事ではなく
神の摂理であったことが次の聖句でわかります。ルカ福音書2
12節に『あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼い葉お
けの中に寝かしてあるのを見るであろう。それがあなたがたに
与えられたしるしである』とあります。イエスが救い主として
誕生された当時は、イスラエルの地はローマ帝国に支配されて
いた時代で、クレニオがシリヤの総督でした。その総督がユダ
ヤ人に対する課税の目的で人口調査をしたのです。日本でも4
年に一度「国勢調査」をしますが、日本の場合は居住地で調査
書に書いて出すだけですが、イスラエルの場合は「自分の町」、
つまり本籍地に出向いて登録をするのですからなかなかやっか
いなものでした。

 

 それで国内は旅行者で混乱をしていました。ヨセフはユダ族
の出身でしたから、北のガリラヤ地方のナザレから許嫁のマリ
ヤを連れて何百キロの旅ですからたいへんな旅でした。そして、
ようやくベツレヘムに着いたころには日も暮れて宿屋は旅行者
で満員でした。『客間には彼らのいる余地がなかった』とあり
ます。もし彼らに少しでも優しい心があって、少しずつでも譲
り合ったら、救い主が馬小屋に生まれるようなことがなかった
のに…。聖書に『自分のことばかりでなく、他人のことをも考
えなさい』。(ピリピ書24節)とあります。これを金言とし
たいものです。

 馬小屋での誕生は人間として最も低いところの誕生です。わ
たしたちがどんなに貧乏をしても馬小屋に生まれたということ
はないでしょう。この馬小屋の誕生はどんな意味があるのでし
ょうか。『幼な子が布にくるまって飼い葉おけの中に寝かして
あるのを見るであろう。それがあなたがたに与えられるしるし
である』とあります。つまり、どんな貧しい人、低い人にも届
くためだったのです。イエスは「子なる神」ですから王宮に生
まれてもなんら遜色はありません。いや、そのほうが神の子の
誕生としては相応しいでしょう。でも、そんな高い所に生まれ
て『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにき
なさい。あなたがたを休ませてあげよう』(マタイ福音書11
28節)と言われても、罪人のわたしたちが、そんな高いところ
に近づくことはできません。そこで救い主がいちばん低い所に
までおりてくださって、わたしたちに近づいてくださったので
す。これが馬小屋での誕生の意味なのです。これこそ救い主イ
エスの謙遜だったのです。
 

 以前にも話しましたが、ひとりの旅人が郊外を旅していまし
た。季節は「天高く馬肥える秋」でひばりがさえずっていまし
た。空ばかり見ていたので道から逸れているのも気づかず、野
井戸に落ちてしまいました。さいわい空井戸でしたので溺れる
ようなことはありませんでしたが、運悪く足を骨折してしまい、
はい上がることもできず困ってしまいました。井戸の底から大
きな声を張り上げて助けを求めましたが、街道から離れている
ので誰も気がつかず、助けてくれる者はなかなか現れませんで
した。
 

 それでも暫くすると叫び声に気がつき、一人の人が井戸を覗
きこんでくれましたので、旅人はこれで助かったと思いました。
ところがその人は「どうしてこんなところに落ちたのか」と言
い、「空ばかり見ていたので井戸のあるのに気がつかなかった」
と話すと、その人は「それはあなたの不注意だ。これからはよ
く足元を見て歩きなさい」と言って行ってしまいました。今に
助けてくれると期待をしていた井戸の底の人はがっかりしてし
まいました。

 それでも諦めないで助けを求めていたら、またひとりの人が
上から覗き込み、町から長い梯子を持ってきてくれました。そ
して「はやくあがってきなさい」と言いましたが、旅人は骨折
をしていましたので上がることはできません。すると上の人は
「親切に梯子を持ってきてあげたのに、あなたに助かろうとい
う意思がないからだめなのだ」と言って、行ってしまいました。

 三人目の人は、その窮状を知り、自ら井戸の底まで降りてき
て旅人を自分の背中に負うて助けてくれたのです。実はこの三
人目の人がイエス、キリストの姿だったのです。井戸のどん底
の人を救うために最も低いところまで下りてきてくださった、
それが馬小屋の誕生の意味だったのです。どんな崇高な教えを
説いてもそれだけでは救われないのです。 (Dec,25,2011)