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2010.12.26
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主に感謝して一年を終える


『主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに

絶えることがない』。          (詩篇118章1)


 この詩篇は初めに『主に感謝せよ』とうたわれ、最後にもういちど

同じみ言葉で締めくくっております。つまり最初から最後まで感謝の

詩篇であります。今日は一年の最後の聖日礼拝です。一年間、神から
受けたくさぐさの恵みを覚えて感謝の礼拝といたしましょう。一年間
の最後を『感謝』で終わることができることはしあわせなことです。


ある老婦人が突然天に召されました。そこでその家に駆けつけたと
き、娘さんが「母は最期まで日記をつけていました。ところが、自分
の最後の日を悟ったのか、あるいは偶然だったのか、召される前日の
ページには、ただ二文字『感謝』とだけ書いていました」と聞かされ
ました。そこで自分の人生の最後を『感謝』で終わったその人は何と
素晴らしい生涯だったかと感じました。わたしたちもその生涯の終わ
りを、その姉妹のように『感謝』をささげられるような終わりにした
いものだと深く感じました。


さきほどご一緒に讃美をしました聖歌172番の折り返しには『数
えよ主の恵み、数えよ主の恵み、数えよ一つずつ、数えてみよ主の恵
み』とあります。この讃美のように神から受けた恵みを数えるときに、
大きな感謝と喜びとなります。今年もあと数日となりましたが、どう
ぞ一年間の恵みを数え挙げてみてください。きっとあふれる喜びと感
謝に満たされると思います。


テサロニケ前書5章18節に『いつも喜んでいなさい。絶えず祈り
なさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イ
エスにあって、神があなたがたに求めておられることである』とあり
ます。そして神に感謝することは神がいちばん喜んでおられることで、
またそのようなものを愛してくださるのです。



柘植不知人先生は『感謝と讃美は信者の両翼である』と語られた
のは有名なことですが、神は素直に感謝する者をますます恵んでくだ
さるのです。


ある日、女性の方がテレビで対談をしていました。その話のなか
でところどころで「感謝です」「感謝なことに」という言葉が出てく
るのです。それを聞いていて「おや、もしかして」と思い、早速調べ
てみると案の定クリスチャンでした。皆様も気がついておられないか
もしれませんが、クリスチャンはその会話の節々で「感謝」という言
葉が自然に出てきます。不平や愚痴、また人の悪口を言うよりも、感
謝が出来る生涯は幸いな人です。

ルカ福音書17章11節以下に、重い皮膚病が癒された10人の人
のことが書いてあります。ところが、そのなかの1人だけがイエスのと
ころに帰ってきて感謝をしました。そのときイエスは『あなたの信仰が
あなたを救ったのだ』と言われました。つまり彼は病気が癒されただけ
でなく、魂も救われたのです。それは感謝をしたからです。わたしたち
も神の恵みを受けることに慣れっこにならないようにしたいものです。


 
 また、柘植不知人先生は説教の中でこんな話をしておられます。あ
る農家で跡継ぎに恵まれない夫婦がありました。そこで自分の財産を継
承するために養子夫婦を迎えました。ところがその養子夫婦はよくでき
た人で、毎年暮れになると、その両親を家に招き御馳走をしてねぎらい、
その後で夫婦が揃って畳に手をついて、「お蔭で、今年はこれこれの収
穫を得ました」と挨拶をしたというのです。そして柘植先生は「よくで
きた養子夫婦だ」と大変褒めておられました。わたしたちクリスチャン
もこの夫婦のように神の前に手をついて「一年間、多くの恵みをいただ
き有難うございました」と感謝をしたいものです。




 そしてまた神は、そのように素直に感謝して喜ぶ者を愛してくださる
のです。大晦日までまだ数日あります。どうぞ一年間の恵みを覚えて
感謝をささげたいものです。『主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのい
つくしみはとこしえに絶えることはない』


福音讃美歌341

1.かよわき我にも 恵みをみたし

守らせたまえる 主の愛ふかし

 

真心つくして 感謝をささげ

喜び勇みて 御名を讃えよ

 

2.   血潮のちからに この身をいやし

強くしたまえる いさおとうとし

3.  つたなき祈りに 常にこたえて

恵ませたまえる み旨かしこし

4.   試み受けしも 恵みに変えて

勝利をたまえる あわれみ深し

(Dec,26,2010)