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2010.1.24
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しかし、お言葉ですから


『話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。
しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。そしてそのとおりにしたところ、おびただ
しい魚の群がはいって、網が破れそうになった』。 (ルカ福音書55節)

 

 前回は『カナの婚礼』のところで、「なぜ奇蹟が起こった」のか学びました。
その第一は、その宴席にイエスが招かれていたから、急遽、水を酒に変える奇蹟で窮地を救うこと
ができたのです。
第二は料理人たちが使った水瓶を綺麗に洗っていたから、咄嗟のときに間に合ったのです。
第三に、料理人たちがイエスの「瓶に水を入れなさい」との言葉に、素直に従ったからです。
どんなときにもイエスのお言葉に素直に従う人は恵みを受けるのです。

 

 さて、今日の聖書箇所は漁師たちがイエスのお言葉に素直に従ったときに、驚くほどの恵みを
受けたという話です。

 

この舞台は『ゲネサレ湖』です。これは別名『ガリラヤ湖』とも呼ばれ、わたしたちにはこの名前
のほうが馴染みがあり、身近に感じられます。そこでイエスは一晩の漁を終えて岸で網を洗って
いた漁師の船に乗せてもらい、その上から群衆にお語りになりました。
それはイエスのおられるところに群衆が押し迫り、水の中に落ちる危険があったからです。

 

話を終えたイエスは漁師に、『沖へこぎ出して、網をおろして漁をしてみなさい』
と言われました。それに対して漁師は、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れ
ませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」』と、イエスのお言葉に
従ったのです。

 

玄人の漁師が、漁にかけては素人のイエスの言葉に、なぜ素直に従うことができたのでしょうか。
それは彼らが網を洗いながらイエスの話を聞いて恵まれていたからです。
どんな人でも恵まれたら素直に従うことができますが、恵まれないとなんだかんだと理屈を言って
従うことを拒否します。わたしたちも素直に従うことができるような恵まれたクリスチャンに
なりたいものです。

 

ところが、漁師たちはイエスのお言葉に従って網をおろしたところ、網が破れそうになるほど
おびただしい魚が獲れたのです。この出来事がきっかけで漁師たちはイエスの弟子となったの
です。

 

ヨハネ福音書21章にも、イエスの弟子たちがイエスのお言葉に素直に従っているところを見ま
す。ここは『テベリヤ湖』とありますが、これは同じ『ガリラヤ湖』のことです。
そしてこの名前は、当時イスラエルを支配していたローマ帝国の皇帝『テベリウス』の名前から
きたものです。

 

 ですから、物語の舞台は同じ湖ですが、時代は、あれから3年半後のことです。つまり前の話は
シモン(後のペテロ)が漁師だったときの出来事で、ヨハネ福音書21章の話はイエスが十字架に
かかり、三日目に墓から復活をされた後のことです。

 

弟子たちは復活されたイエスから、『ガリラヤに行け、そこでわたしに会える』(マタイ福音書
2810節)と言われたイエスの言葉に従って集まって来たのです。
ところがイエスの姿はなく、明日の糧のことを心配したペテロたちは、イエスに従って献身を
したときに捨てた舟と網を実家から持ち出して漁に出たのです。

 

 ところが、『その夜は、なんの獲物もなかった』のです。イエスの弟子になっていた3年半の間
に漁師のコツを忘れたのでしょうか。(3年半ぐらい現場を離れていたからといって、漁師のコツ
を忘れるようなことはありません)。それは祝福がなかったのです。ヨハネ福音書155節に
『わたしから離れては、あなたがたはなにもできないからである』とあるように、イエスから離れ
て勝手なことをしたからです。

 

 夜が明けたころ、イエスは岸に立っておられ、失望落胆している弟子たちに、『舟の右のほうに
網をおろしてみなさい』と声を掛けられました。そして弟子たちはイエスのお言葉に従って『舟を
右のほうに』網をおろしたところが、引き上げることができないほどの多くの魚が獲れたのです。
そして、後でその数を数えたところが百五十三びきだったとあります。これも彼らがイエスのお
言葉に従ったからです。

 

 もう一つ注意したいことは『舟の右に』とあります。ある人の説明によると、漁をするときは、
たいてい舟の左、つまり左舷に釣り糸をたらしたり、網を下ろすものだそうです。そういわれ
テレビの映像などを見ていると、大抵が舟の左舷で釣りをしています。その理由はわかりませんが、
弟子たちはイエスが『舟の右に』と言われたときに、日頃自分たちがやらないことに素直にそれに
従っているのです。つまり自分の知識、経験などに頼らないで、主のお言葉に素直に従うことが恵
みを受ける秘訣なのです。

 

 最後に、ヨハネ福音書11章にラザロがイエスによって墓から生き返った記事があります。それは
ベタニヤ村のマルタ、マリヤのもとから使いが来て、「弟のラザロが病気で危篤である」との知ら
せが届いたときのことです。イエスは直ぐに駆けつけることができず、その家に着いたのはラザロ
が死んで「四日もたってから」でした。

 

 墓についたイエスは『石を取りのけなさい』といわれましたが、姉のマルタは『主よ、もう臭く
なっています。死んで四日もたっていますから』と言ったとき、『イエスは彼女に言われた、
「もし信ずるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」』。このイエスの
お言葉に従って墓の石を取りのけたところが、『死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれ
たまま出てきた』のです。つまり死んで四日も経っていたラザロが生き返ったのです。これは
イエスのお言葉に従って『石を取りのけた』から奇蹟が起こったのです。


 この石はわたしたちにとっては「諦めの石」「不信仰」といった石です。でもイエスは「その石
を取りのぞきなさい」と言われたのです。


 わたしたちも「これまで一所懸命に祈ってきたが、もうだめだ」といった諦めの石、不信仰の
石で封印をしている問題はありませんか。イエスが言われたように、神を信じて「不信仰の石」
「諦めの石」を取りのぞこうではありませんか。『もし、信ずるなら、神の栄光を見る、とあなた
に言ったではないか』とイエスが言われたように、信じる者に神は栄光を現してくださるのです。

 

                                      Jan.24.2010)